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なかったんだ。
壊されてしまったの?
それとも、
食べられてしまったの?
〔きょとんとした顔で、アナはドミニクに問いかけた。でも、その声は、ごろごろと鳴る雷に消されてしまったのか、答えが返ってくることはなかった。
ドミニクに連れられて、アナは教会へと辿りつく。
黒い列に並んだちいさな姿を見て、人々のあいだにさざなみが立つ。
前へ、前へと場所を譲られて、棺の前に来るまではすぐだった。〕
ああゼルマさん。おいらは一人だけど一人じゃないから大丈夫。
[ようやく足下の子羊達に気付いて、二匹を代わる代わる撫でながら、羊飼いは言いました]
それよりアナはどうしてるんだろう?
ホラントがいなくて心細いんじゃないだろうか?
誰か見かけた人がいるかい?
そうじゃのう。わしみたいな力の弱い老いぼれじゃあ、せいぜいホラントの付け合わせにされるが関の山かのう……。
[羊飼いの言葉に、おじいさんはこっくり、頷きます]
人狼……さあのう。わしがこの目で見たことは一度もないんじゃ。
でも、人狼がいるという噂が立って……やがて滅びた村なら知っておる。
[近くのおばあさんを気遣ってか、アルベリヒに答えるのは小さな声です]
[繰り返された言葉にあ、と小さな声を上げますけれど。
言った言葉は戻りませんし、何より。
誰かに聞いて欲しかったのも、本当の気持ちなのでした。]
……ええ、そう、ですわ。
占い師……というと、少し、違うような気もするのですけれど。
この子たちが、教えてくれるのです。
[小さな声にこたえるように、白の花がほわ、ほわりと光ります。]
アナ…
[探していた少女の姿が見えても、いざとなると羊飼いにはかける言葉が見つかりません。代わりに二匹の子羊が、とことこと少女に駆け寄ると、足下に擦り寄って、めえ、と鳴きました]
[もしもゼルマが少しでも冷静さを残していたら、
少し離れたところからじっとホラントの入った棺を見つめるアナの様子に疑問を抱いたことでしょう。
しかし、一杯一杯のゼルマにはその余裕は残っていなかったのです。]
ああ、アナ。あなたの兄さんだよ。最後のお別れをちゃんと言いなさい。
[アナのそばに寄ったのでアルとベリエスの話は聞こえなかったようです。]
ええ、ええ。
きっと熊とか虎とかの仕業でしょう。
[牧師は口ではそう言いながらも、
老女から聞いた話と、ホラントさんの噂話と
タイミングの良さに、薄々と気付いてはいるのです。
ゼルマを宥め、ベリエルが教会を訪れれば、
牧師は埋葬の準備を始めます。
教会を訪れた羊飼いが聖句を唱えると
牧師は神妙な顔つきで、ホラントさんの冥福を祈るのです]
〔そばまで来たのに、アナはしばらく立ち止まっていた。
二匹の羊が近づいてくる。
ゼルマもやってきたけれど、アナはまたたきもせずに、じいっと、棺を見つめていた。
返事をするまでには、ちょっぴり長い間を置いてから、アナは口を開く。〕
お兄ちゃんのからだ、誰が、なくしちゃったの?
人狼が村を滅ぼすんなら、やっぱり人狼を探さないといけないんだろうか?
探してどうにかしないといけないんだろうか?
[小さな小さな声で羊飼いは呟きました]
ああ、でもおいらには出来そうにないよ。
[黒雲はすっかり空を覆っていました]
アナ……。
[おじいさんは、兄に先立たれた妹の姿を見付けました]
どうか、気を強く持っておくれ。
嬢ちゃんは強い子じゃから、きっと大丈夫だと思うがのう……。
[ひとり取り残された女の子に、おじいさんが何を言ってやれるでしょう。
棺の前のアナを、おじいさんは静かに見詰めています]
〔質問が聞こえたのは、誰までだろう。
アナはそう言ったあと、羊たちやゼルマを見もしないで、棺のそばに近づいた。すかすかの、その棺の中身を、大人たちは見せてくれなかったし、アナも見ようとはしなかった。
ほんの少し開いた入り口に、アナはとりどりの花を添えていく。粉々になってしまったランタンも、いっしょに入れてくれるようにお願いしていた。〕
だいじょうぶ。
黒い森の灯りは、アナが、ともすから。
〔帽子の陰になった表情は、他の人に見えはしない。
ただ、ここにいないホラントに約束するように、アナは言ったのだった。
手を組んでお祈りをして、アナはそっと、立ち上がる。〕
[ドロテアの声に合わせるように白い花が光るのを、旅人は少し驚いたような顔で見ていました。]
なるほど。
[やっぱり小さな声で、旅人はうなずきます。]
だれが人狼か、分かるというわけか。
たしかに、人狼は恐れるだろうな。
[それから、確かめるかのようにもう一度つぶやいたのでした。]
ということは、本当にいるのか。
[少しずつ動いていく、黒い列。
牧師はこの先もこうして、誰かを見送るのでしょう。
棺の中身は服の切れ端に、壊れたランタン。
せめて彼の身体の一部でもあれば
ホラントさんについて、わかるかもしれないのに。
雨の降り始めた空を見あげて、
牧師は小さく神への文句をつぶやくのでした]
[ぐしぐしと帽子の影で鼻をすすっていた羊飼いはアナの言葉に顔を上げました]
アナ、森に行くのは危ないよ。
[言ってから、危ないのは森だけではないかもしれないと気付きましたが、羊飼いはその考えを頭の奥に押し込めました]
もっとも、一度に知れるのは、ひとりだけ。
だから、慎重に、隠れていなさい、と言われてきたのです。
[でも、動き出してしまったから。
もう、隠れるだけではいられないのです。]
……ええ。
ホラントさんが、誰にあのお話を聞いたのかはわかりませんけれど。
本当の事、なのですわ。
アナさん、
危ない真似はしてはいけませんよ。
アナさんに何かあったら。
ホラントさんが悲しみます。
[少女の決意のような言葉が耳に届くと、
牧師は彼女を嗜めるように言いました]
探してどうするつもりなのじゃ?
[アルベリヒに問い掛けるおじいさんの目は、少し鋭くなっていました]
それでいいのじゃよ、出来なくて当たり前じゃ。
普通の心を持つ人間なら、そう簡単に誰かを疑うことなど出来ないはずじゃ。
そうでない者は――
……その村が滅びてしまったのはのう、村人たちが、誰の事も信じられなくなったからなのじゃよ。
〔空っぽの籠はそこに置いて、火のついていないランタンを手にしたアナは、まるで、今、ほかのみんなに気づいたみたいな顔をした。〕
エリーにフリー、ゼルマお婆ちゃん。
こんにちは!
〔他の人の姿も見つけたら、同じように、ご挨拶。
にっこり笑って、いつもと同じようにするのだった。〕
アルベリヒさんに、牧師さま。
どうして?
危ないのは、黒い森じゃないもの。
だいじょうぶ。
それに、黒い森には、きっとお兄ちゃんだっているもの。
〔アナは不思議そうな顔をして首をかしげてみせる。
泣いている羊飼いとは違って、涙のあとだって見えなかった。〕
[アナの様子が意外にしっかりして見えたことでゼルマは自分がこんなではいけないと思いました。
そうして、取って付けたように亡くなった兄を見送る列に混じります。]
やはり、探すしかないわね。もしもそれが本当ならば。
[誰にも聞こえないだろう小さな呟きでした。
空が啜り泣くような雨粒を落とし始めており、人々の足音があり、そばに戻ってきたヴァイス以外には聞こえなかったことでしょう。]
[黒い森は、危ないよ。
狼が出るよ、狼が出るよ。
みんなの目から隠れて、狼が狙ってるよ]
ホラントさんが、黒い森に?
[普段と変わらぬ調子で喋る少女に
牧師は複雑な顔をします]
アナさん、森の家に帰るつもりですか?
宿に泊まっても、教会に泊まってもいいんですよ。
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