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……アナ?
[急に元気になってにっこりするアナに、おじいさんは不思議そうな顔をしました。
この教会の中で一番かなしいはずのアナが、一番明るい声を出しているのです]
お兄ちゃん……ホラントが、森に?
どういう事じゃ……ホラントは……
[今は小さな欠片になって、あの棺の中にいるのです。
それを認めようとしない女の子は、まるで――]
……可哀想に。
[おじいさんは誰にも聞こえない声で、そっと呟くのでした]
[ランタンが壊されてしまって、
ホラントが食べられてしまった。
そう木こりが返すことはありませんでした。]
…おう。
[ただ一言そう言ったけど、返事は雷鳴がかき消します。
そうして離れた位置からは棺の前の会話は聞こえません。]
誰も信じられなくなったから…
[羊飼いは、老人の言葉を鸚鵡返しに呟きました]
でも、誰を信じればいいんだろう?
[深い溜め息をついたあと、羊飼いはアナの言葉を聞きました]
ああ、そうだな、ホラントはきっとアナの傍に居るに違いないよ。
[また羊飼いは、ぽろぽろと涙をこぼしました。実のところ、あんまり泣きすぎて、少女の表情も良くは見えていないのでした]
うん。
いなくなっちゃったから、きっと、森にいると思うの。
牧師さま、どうして、森はだめなの?
お兄ちゃんをなくしたものが、いるから?
〔メルセデスの質問には答えずに、アナは反対に、質問をする。〕
誰かを疑うことで、村が滅びてしまう……。
[ご隠居の言葉が、牧師の胸に沁み入ります]
私たちがホラントさんの言葉をもっと真剣に聞いていれば、
こんなことには、ならなかったかもしれません。
アナさんを同じ目に合わせるわけにはいきません。
[牧師は棺と少女に頭を垂れます]
誰かと一緒にいた方が、安全です。
森は暗くて、闇が潜む場所。獣たちのテリトリー。
光は闇に押しつぶされて、消えてしまうのです。
神様の手も、あの森には届きません。
[牧師は少女を説得しようとします]
アルベリヒさん。
お兄ちゃんは、アナのそばにはいないの。
アナが森で眠っているときには、そばにいてくれたけれど。
起きたら、もう、行くって、言っていたから。
〔首を振って、アナはアルベリヒのことばを否定する。
わかるでしょう?って、二匹の羊にも聞いたけれど、彼らには分かるものなんだろうか。〕
そうだな。
あまり、このことは触れ回らないほうがいいだろう。
少なくとも、本当に信頼できる人以外には。
[旅人は小さな声で言いました。
その後のことばにうなずいたところで、ぽつり、空から落ちるものがあります。]
雨か。
[旅人は空を見上げました。
あんなに青かった空は、いつの間にか真っ黒な雲に覆われていました。]
……そりゃあ、わしの決められることではないのう。
心の目と耳で、ようく相手を見詰めるのじゃよ。
[アルベリヒの言葉にはそんな風に答えて。メルセデスの方へと向き直ります]
うむ……ホラントは、森で襲われたのじゃったか。
何故あんな場所へ行ったのか?
わしらが余りに疑うもんじゃから、証拠でも探しに行ったのかのう。
ああ、もっと早く気付いていれば……。
[誰を信じればいいんだろう
そう羊飼いがつぶやく声が聞こえます]
……結局は、自分の信じたい人を
信じるしかないのでしょうね。
[牧師の視線は自然と、葬列から少し離れた場所へ。
雨に濡れた木こりの姿を捉えたのでした]
ああ、ああ、そうなのかい?
そうか、ホラントはもう行ってしまったのか。
それなら、やっぱり一人でいるのは危ないよ、アナ。牧師さんの言うとおり、宿か教会に泊まったほうが…そうだ、おいらのとこに来てもいい。
何か怖いものが来ても羊達が騒いで報せてくれるからね。
[アナの言葉の意味はやっぱり羊飼いには良く判りませんでしたが、牧師さんの心配は尤もだと思ったので、そんな風に提案をしてみました]
牧師さま。
闇の中に、見える光も、あるんです。
神さまの光とは、違うものだけれど。
〔そう言いはしたものの、牧師の真剣な様子に、アナはそれ以上言うのをやめたみたいだった。でも、首を傾げて、少し、悲しそうな顔。〕
牧師さまは、お兄ちゃんの話、きちんと聞いてはいなかったのね。
……本当に、信頼できる人。そうですわね。
[とはいえ、今はそれを見定めるのも難しいのです。
昨夜、蛍が気まぐれにじゃれつきに行った羊と、その主は、大丈夫とわかってはいるのですけれど。]
……あら、本当に。
[それから、空を見て小さく呟きました。]
ここにいると、濡れてしまいますね。
わたくし、教会に戻りますわ。
……お話、聞いてくださって、ありがとうございます。
[丁寧なお辞儀を一つして、歩き出そうとするのですけれど。
ふと、思った事があって、改めてルイを見つめます。]
あの……一つ、お聞きしてもよろしくて?
[気丈に振る舞うアナを見てゼルマは少し元気を取り戻していました。
ベリエスにもう大丈夫とマフラーを返し、身体に力を入れて棺を見送ります。]
人に化ける獣を探そうって気持ちは分かるけど、今はホラントを送るんじゃないのかい。
[不意に近くに居たのに列に入ってこないドミニクに声を掛けました。
いつにも増してぶっきらぼうな木こりですが、視線鋭く村の者を一人一人観察しているようにも見えてさきほどから小競り合いになっていました。
このタイミングでいざこざを起こさせてはいけないと思い、列に入れてしまおうと声をかけたのでした。
牧師さまも同じようなことを考えてか、こちらを見て気にしていましたので、気を利かせたつもりだったのです。]
〔宿や教会、それに羊飼いのところ。
どうやら、アナの行き先はたくさんあるみたい。
考えごとをするように、アナは、指を唇に当てる。〕
ありがとう、アルベリヒさん。
それなら、アナ、アルベリヒさんのところがいいです。
エリーやフリー、それに、みんなとも、いられるもの。
それはいい考えです。
[羊飼いの申し出に、牧師はぽんと手を叩きます]
牧場には、羊たちがたくさん。
白い綿の中に、アナさんの姿を隠してくれるでしょう。
みんなで獣を追い払ってくれるでしょう。
[アナに向けられた悲しそうな顔に、牧師は溜息を一つつきます]
ええ、結果的にはそうなるのでしょうね。
まさかこんなことになるなんて、思ってもみませんでした。
[おじいさんは、ゼルマからマフラーを受け取りました。
ゼルマが木こりにかけた言葉を聞いて、安心したように頷きます]
その通りじゃのう。
そんなに目を鋭くしていては、見えるものも見えんくなるぞい。
[そしてアルベリヒの所に行くというアナにも、それがいいと頷くのでした]
[小さな雨粒が木こりのシャツに染みを作ります。
けれど大男は動きません。
やがて垂れ込めた暗雲が、紫色の光を発しました。
人々の影を一瞬だけ地に映します。
雷が落ちるのはまだ遠く、轟きは遅れて届くのでした。]
そうかい、それじゃ、お葬式が終わったら、おいらと一緒に帰ろうな。
[少女の返事に羊飼いは、ほっとして、少し笑顔を取り戻しました]
エリーとフリーも喜ぶよ。
[羊飼いの言葉を肯定するように、子羊達は、めえ、めえ、と鳴きました]
[アナと羊飼いが話しているのが聞くともなく聞こえてきました。]
そうね、アルのところは羊たちも居るから大丈夫だわね。
[ようやくゼルマは自分の飼い猫のことを思い出しあたりを見回しました。
すぐに、にゃぅぅん、と返事がありました。それだけでも老婆は身近に信頼できる存在があるのだと思えて気持ちが軽くなるのでした。]
♪いやなほんとうは うそで
しあわせなうそが ほんとうと
明るい道 目を瞑って ゆくのです
真っ暗闇 目を開けて そのときに
あなたは なにを 見るでしょう
〔とつぜん、思い出したみたいに。
ちいさく、ちいさく、アナは歌った。〕
[不意にかけられた老女の声に、木こりが首を向けました。
考え事に向いてない大男の心は狼探しででいっぱいです。
それでも年配の老女の言葉には首を横に振ったのでした。]
……いい、オイラはもう別れを済ませた。
ここで見ている。
一緒にいたら、もっと見えない。
[ベリエスの声に少しはばつの悪い様子になるものの、意固地に近づこうとはしません。
人々の中に入ってしまっては、影が見えないと思っているのでした。
太陽も月も見えない空を、雷の光が彩っています。]
そうするといい。
ボクも宿に戻るとしよう。
[お礼にはふるふると首を振ります。
旅人はとんがりぼうしをかぶりなおしました。]
何だろうか。
[立ち去ろうとしたドロテアが見つめてくるので、旅人はまたたきました。]
[ホラントの弔いはあらかた終わろうとしていました。
その中でゼルマはどうやって人に化ける獣を見分けるのか考えていました。]
いや、ダメよね。占い師とかが居たからといってどうやって信用するの?
考えたくないけど、その獣が賢かったら占い師を食ってからそれに化けることだって考えるかもしれないわ。
[考えが堂々めぐりになりそうになるとは、ゼルマはかぶりを振るのでした。]
ええと、その。
大した事では、ないのですけれど。
[少し悩んで、それから、ゆっくりと、言葉をつづります。]
信じるのと。
疑うのは。
……どちらが、より、難しいと思われますか……?
嫌な天気ですね。
良からぬことが起こる前触れのような……。
[紫色の光と、遠い太鼓の音。
牧師は一瞬身を怯ませます。
少女の歌う声に、牧師ははっと目を明けるのです]
これ以上、可哀想な人が出ないように、お祈りをすることです。
そうすれば、きっと神様が道を照らしてくれます。
[牧師はそれだけ言うと、俯きました]
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