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……ん?
[ 僅か興味に駆られつつも演奏の邪魔をせぬようにと薄く扉を開けば、ピアノの前に座る人物に些か意外そうにして緩やかに一度、瞳を瞬かせた。]
メイか。
[ 名を紡ぐ青年の声もやや惚けていただろうか。口許に手を当てながら、様々な楽器で彩られた部屋の中に躰を滑り込ませ、そっと扉を閉める。其の小さな音ですら、何かを壊してしまうのではないかといように。]
[うわごとのように、唇だけが動き、
時折その目が恨みがましく、返り血に染まった白い顔を見上げる。]
…別に二つも要らないか。
片方だけでも十分見えますよね?
[さらりとそんなことが耳に入り、びくんと義兄の体が跳ねた。]
[入ってきた青年に、や、といつもの挨拶をして。
それから、意外そうな様子に気づいてか、僅か、首を傾げつつ]
うん、ボクだけど。
……意外かな、弾いてたのがボクで?
[問いかける声はやや、冗談めかした響きを帯びていたか]
[ぎゅっと閉じられたその瞼に唇を落とし、
長い鉤爪を目の際へと埋める。
抉り出された眼球では無く、そこにぽっかり開いた穴へと、
唇をよせ、舌を挿しいれて、やわらかな組織を味わう。]
…ここが一番、やわらかく甘い。
ごちそうさまでした。
[義兄を生きたまま食い荒らし、返り血を浴びたその姿で発したその言葉は、
その光景が恐ろしく見えなければ滑稽に見えただろう。
それでもまだ生きているその体を壁に持たせかけ、心臓が皆に良く見えるように、と…胸骨を引きちぎった。]
[眼窩からも、片目からも涙を流し、
引きつった笑顔の形に緩んだ口元からは、だらだらと涎が垂れていた。
時折、ひくり、ひくりと痙攣する肉塊の中心には剥き出しの心臓。
それでもまだ生きていることがひと目でわかるように。]
意外と云うか、驚いたというか。
[ 何方も然して変わらないのだが、ゆっくりと部屋に足を踏み入れ、視線を巡らせて彼方此方置かれた楽器を眺めながらピアノの傍ら迄来ればメイの方を見遣り、]
納得と云えば、納得かな。
[半ば独り言ちるように付け加える。]
音楽には詳しくないから上手くは云えないが、好い演奏だったと思う。
[ 言い方に問題はあるが、此れでも賛辞の心算らしい。]
まあ、ここ以外じゃ弾かないしね、ピアノ。
[返ってきた答えに、軽く肩をすくめ]
……それに、どっちかって言うと。
人に聴かせるよりは、自分が落ち着くために弾いてるようなもんだし、ねー。
[鍵盤に視線をやりつつ、ぽつりと呟く]
と、いうか……なんか、微妙に褒められてるのかどうかわからない気がするんだけど、それ。
[白い狼の姿へと変じると、返り血を浴びた服を暖炉へと放り込んだ。
木綿の薄手の服だったから、僅かな時間で跡形も無く燃え尽きるだろう。
千切りとった腕と、足と、眼球を、天井裏へ隠すように運び込む。]
…形見分けに差し上げるというのも、一興でしょうかね。
[喉の奥でくつりと、獣は哂う。
部屋の主が晩餐会のために出てゆくのを待ち、情婦の寝乱れた寝台にはその身体を愛撫した手を、
その目が実子と認めたらしい隠し子の少女の部屋には、ビー玉のような眼球を置いてやるのも良いかもと考える。]
落ち着く為に、か。
……俺の読書と、同じ様なものかな。
[ 此方も小さく呟けばチラと鍵盤を見るも直ぐに視線を僅かに上げ、続いたメイの言葉には心外そうな表情になる。]
個人的には大分上級の褒辞だったんだが。
[ 当人は至って真面目な様子。]
……と、だったら邪魔したか?
―広間―
[ソファで眠る男は目覚める気配も無く、時折魘されるように呻いて。
額の汗が流れ落ちるのを見、タオルを取に行くとその汗を拭って]
やっぱ、部屋に連れて行ったほうが良いかな…。
[ここで眠るよりは遥かに良い筈で、だけど一人にするのも不安が残り]
誰かの目が届いている方が良い、か?
[広間は今静かで、それ故に男の呻く声は耳について。
男に掛けた毛布を掛けなおし、再び元の椅子に]
しかし…ここに来てから変わった事ばかり続くな。
[ぽつり、独り言。
特に目的も無く一所に留まった事は無く、だから]
これ以上何もないと良いんだけど、ね。
んー……そうかもね。
[同じ様な、という言葉に、僅かな思案の後に頷いて。
心外そうな様子に、はあ、とため息を一つ]
まあ、いいけどね、その方がらしい気がするし……。
ありがと、素直に受け取っとく。
[にこ、と笑いながら言って。
邪魔、という言葉には、首を左右に振り]
そんな事ないよ、そろそろ切り上げようと思ってたし。
ピアノ弾くのに夢中になってご飯食べ損ねたら、勿体無いもん。
[とまれ、今はこの返り血を洗い流そうと、通風孔を通って屋根の上に出る。
雨は未だ、強く降りしきっている。
白に近い銀色の毛並みに、玉のように転がる雨粒。]
―自室―
[わたしはゆっくり身を起こす。からだの疲れはあまりないけれど、結局、きちんと眠れていない。
話した人のことを考えれば、心の中がほんのり暖かくなる。いまはそれで十分。]
……望んでは駄目よ。分かっているわ。
わたしは、なにも望んでは――
らしいって、其れこそ褒められているのか如何か解らないんだが。
[ 片手を腰に当てつつ小さく唸るも、笑みを向けられれば好いかと気を取り直す。]
……ああ、そうだ。
今夜は晩餐会だそうだ、アーヴァインさんも一緒に食べると。
だから、今日は特別御馳走かもしれないな。
[ 使用人の拘りか主の云い付けか、普段から其れなりに豪勢な食事を思い返せば彼れ以上の馳走はあるのかと思いながらも、部屋の扉に向けて歩みを進める。雨は未だ止まずとも、其の音は現在は些か遠い。]
[時折雷鳴が轟き、雲は厚く、月も見えない。
咥えて持ち出した彼の足を時計塔へと運び、
大時計の針に引っ掛ける。
針が動けば、いずれ真下の玄関前へと落下するはず。]
ん、大丈夫。
[疲れたまま動くのにはなれている。わたしはそっと部屋から出た。
ふと、昨日の泣き声を思い出す。]
……大丈夫かしら。一人で苦しんで
[一人で――
誰一人として、そんなふうに悲しむ、悲しいひとがいなければよいのに。
浮かんだ影はしまいこんで。]
そうだわ、晩餐会だったかしら。アーヴァインさん、はしゃいでいらしたわね。
[頭をきりかえようと呟いた]
―自室→広間―
十分に褒めてるつもりだけどー?
[軽い口調で言いつつ、鍵盤の蓋を閉めて]
晩餐会かあ……なら、相当こだわりそうだね。
[主も同席、する、という話にこんな呟きをもらしつつ。
ふと、窓の方を見やってから、自分も扉の方へ]
……それにしても雨。
止みそうな感じ、しないね。
[晩餐会の時間は刻々と近付いていた。並べられた皿にスープを取り分け、運ばれて来た料理を並べる。
その香りは部屋の外まで届くだろうか。
ふと、蒼い髪の男性が脇腹を撫でているのが視界に入る。
何となく気になって、そちらを見た]
-ヘンリエッタ私室・早朝-
[前日、眠り過ぎたせいだろうか。ヘンリエッタが目を覚ましたのは、まだ薄暗い早朝だった。
まだ肌寒いのを言い訳に、もう一度眠ろうとするが、上手く行かない。
仕方なく、雲に遮られ頼りにならない朝日のもと、起き上がる。
昨日の夜のような雷鳴はないものの、まだ雨音は続いていた。]
今日も雨か。
[雨は好きじゃない。湿気で髪の毛がもつれるし、雨漏りで家の中は落ち着かない。
何より、雨の日はあいつが家にいる。
思い出して、彼女は顔をしかめた。]
もう、関係ないもんね。
其れはどうも。
[ 矢張り軽い口調で返せば同じ様に窓の方を見遣る。空を覆う厚い灰色の雲に月は隠され、強く降り頻る雨の中には雷鳴すらも轟くか。]
……そうだな。厭な感じだ。
[ 小さく返して扉を開き、緋色の絨毯の敷かれた廊下へと踏み出せば一歩一歩と広間へ向かっていく。]
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