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−夕方−
[女将さんの行方が分からずだんだん心配になっていたゼルマはノックの音に戸口にいそいそと出向きます。]
おや、メルセデス牧師様、お珍しい。女将さんはまだなんですよ、でもせっかくですからお茶でも上がっていってくださいな。
[とるものもとりあえず牧師を中に招き入れます。]
大丈夫だ。
いつものことなら、心配はないんだろう。
それに、どこにでも似たような話はあるからな。
[ベリエスがすまなそうにしているので、旅人は首を振りました。
来たばかりの頃に聞かされて、早足で村に来たことは内緒です。]
[ゼルマは急いで牧師にお茶とありあわせのスコーンを出しました。
熱いお茶に牧師がとまどっているのを見て女将さんがいつも牧師にはぬるめのお茶を出していたのを思い出しました。
一息ついて牧師の発した言葉はとても意外なものでした。]
人に、化ける、ケモノ?
[聞きなれない言葉にゼルマの目が宙を泳ぎました。]
……大丈夫、ね。
[一緒になって戻っていく二人の姿にちいさく呟いて、横に置いておいた買い物籠を拾い上げます。
持ち手に挿した薄紫の花の裏側が一瞬だけ、光ったように見えたかも知れません。]
さて、と。
わたくしも、用事を済ませてしまわないと。
それじゃ気をつけてな。
[羊飼いは、少女と木こりを見送って手を振りました。子羊もめええ、と鳴いて見送ります]
さてさて、おいらも仕事仕事。宿の女将さんがきっと待ちくたびれてる。
そうか、それならば安心じゃ。
ところでルイどの、これからどこかに行かれるつもりはあるのかのう?
わしゃちっとパンにのせるチーズを切らしてしまってのう、羊飼いの所から手に入れて来ようと思っとるのじゃよ。
[この村の食べ物は、ほとんど村の中でまかなう事になっています。
おじいさんも、小さな畑で育てた野菜を皆に分けているのです]
ええ、お買い物に。
女将さんが戻られているなら、ちょっとお聞きしたい事があるから、宿にも寄りますけれど。
……どうか、しました?
[首を傾げるアルベリヒに、今度はこちらが、首を傾げました。]
牧師様まで、ホラントに感化されてしまったのですか?
[こう口にしてから、ずいぶんと失礼な尋ね方だと反省したのか、ゼルマは言いなおしました。]
ええ、実のところそういう話は聞いたことが無いわけではありませんわ。ホラントがここのところ言っていること?
いいえ、ずいぶん以前からそんな話を聞いたことはありましたよ。先代の牧師様はそういったことがお嫌いでそのような話をすること自体禁じてしまわれましたし、あたしも忘れてはいましたが。
[ゼルマは牧師にお茶のおかわりを注ぎながら話し始めました。
ヴァイスの目がかすかに光ったように感じたのは気のせいでしょうか。]
[牧師はお皿に置かれたスコーンには手をつけませんでした。
お茶をふぅふぅと息を吹いて冷ましています]
ええ。
ホラントさんが言っていたのですけれど。
最後には国中のお菓子を食べ尽くしてしまった西の国の女王様のお話や
年に一度のお祭りの日、空一面に咲き誇る艶やかな花のお話。
そんな話に比べると、ちょっと怖くて、笑えませんね。
きっと、作り話ですよね。
[なにせあのホラントさんですから、と苦笑い。
老女の目が宙を泳ぐのを見て、牧師は少し不思議そうに首を傾けました]
いや、いまなんだか、光ったような?
でも、花が光るなんてことはないよなあ。
[こしこしと羊飼いは目を擦ります。子羊がめえと鳴きました]
……そうなのですか?
それで、ゼルマさんがご存知なのは、どんなお話なのでしょうか。
[先代の話を出されると、牧師は少しだけ悲しそうな顔をします。
何かと引き合いに出されては、肩身の狭い思いをしていたからです。
注がれるおかわりのお茶を見つめた後、
話をせがむように老女の方へと向き直りました]
[まだ小さい頃に聞いた話なので、うろ覚えなところもあるのですけど、と前置きしつつゼルマは話をつづけます。]
昔はなんでも、神罰で人が獣の姿に変えられてしまうことがあったとか。
そうした、獣に姿を変えられた者たちが償いの長い時を過ごす間に、悪魔にそそのかされて更なる罪へと足を踏み入れてしまうことがあったのだそうですわ。
[封印していた記憶を探りながらゆっくりとゼルマは記憶の糸を手繰っていくのでした。]
いいや。特に行く宛はないが。
羊飼いか。
[この村では初めて聞く情報でした。
旅人は少し考えます。]
そちらのほうはまだ見ていないな。
もしよければ、同行させてもらっていいだろうか。
荷物持ちくらいにはなれるだろう。
[首を傾げながら、旅人はベリエスに言いました。]
ホホ、ならばそうするかいの。
[おじいさんは、旅人に笑って頷きます]
荷物持ちとはありがたい。ならばパンとチーズの一切れくらいはご馳走せねばなるまいのう。
わしのチーズの焼き加減は絶妙じゃぞ。
[そうやって調子の良い事を言いながら、おじいさんは牧場へ向かう道を歩き始めました。
黒い帽子の羊飼いは、果たしてその先にいるのでしょうか]
神の罰ですか。
どんな悪事をしたら、そのような罰が下されるというのでしょうか。
おお、恐ろしい。
[牧師は老女の紡ぐ話に、両の手をぎゅっと組みます]
神に祈りを捧げましょう。
そうすれば、そんな災いはどこかへ消えてしまうことでしょう。
ああ、蛍か。そういやそんな季節だねえ。
[羊飼いはあっさり納得したようでした]
さて、それじゃおいらは、そろそろ行くよ。宿で飯を食べていくから後でまた会えるかもしれないな。
ええ、昨夜見てきましたけど、とても綺麗でしたよ?
[アルベリヒの言葉に、光の舞を思い出してにっこりと笑いました。]
ええ、わたくしも宿にはお邪魔しますから、また後で、かしら。
フリーも、またね?
牧師様、神に祈る前に私の話をもう少しだけ聞いてくださいませんか。
[牧師の話を遮って一息に続けました]
悪魔にそそのかされた者たちは、悪魔との約束通り、昼間は人間の姿に戻ることができました。ですが夜になると元の獣の姿にやはり戻ってしまったのだと。
そうした者たちは悪魔に、早く人間に戻りたいという気持ちを利用されてしまったのだそうです。
そして、いつしか人間を憎むようになっていったのだと、聞きました……昔聞いた話です……人間に戻れないもの達のことをなぜかウェアウルフ、と呼ぶのだそうです。
[そのウェアウルフ(ジンロウ)、と言葉を発した時のゼルマの声は擦れてやっと聞き取れるほど小さなものでした。
そうして老婆は自らの話に青ざめて十字を切ってその場で祈るのでした。]
なに、案内の礼はしなくては。
おや、それは楽しみだな。
チーズは好物なんだ。
[ベリエスのごちそうの話に、旅人はぼうしの下で目を細めました。
それから、ゆっくりと後について歩きはじめます。]
――宿へ向かう道――
[それから、おじいさんは牧場への道を歩こうとしましたが、遠くに子羊の声を聞いたような気がして少し道を変えたのでした。
羊飼いのアルベリヒは、いつも子羊と一緒にいるのです]
おおい、アルベリヒや。
どこへ行くのかね。
[羊飼いの背中を見付けたおじいさんは、大声で呼び掛けます。
しかし歳のせいでしょうか、その声は少々かすれ気味です]
[ゼルマはしばらく祈り、牧師に慰められ、なんとか落ち着きを取り戻しました。]
申し訳ありません、女将さんもいつ戻るとも知れず、取り乱しました、ごめんなさい。
牧師様、村のみなにはこの話は伏せておいて下さい。私が黙っていればこんな話はこれ以上広まることはないと思いますから。
[ゼルマは自分から話しておいて今更のように牧師に懇願するのでした。]
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