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[浴室から出て、着替えを求めて箪笥を開ければ変わらずそこに、場違いなナイフがある]
…そうか。
[見る度、どうしてこんなにも胸を騒がせるのかと不思議だった。
気がついてみれば簡単な理由]
親方ん家にある果物ナイフに似てる。
[刀剣も扱う者の見栄か、無論豪華さは比べるべくもないけれど似ていた。太い刃もいやに大きな所も、果実の意匠が施された柄も。
まだその男の理不尽な暴力をうまくやり過ごす事を覚えていない頃、そこを出れば生きる術も無いという事実も忘れ、ただ本気で想像したものだった。これであいつを殺してしまえば、と]
やれやれ…
[心がささくれ立って当然、むしろそうでなくては生きていけない薄暗い路地での生活。
自分は争いごとを嫌う父の血に似た、もうちょっとまともな人間だと思っていたと悩む気持ちもすぐに忘れ…
食べ、生き、少しでも幸せを感じるためなら何でもやろうと思った。
あるいは警戒心を薄れさせて人攫いに遭ってしまうなどという仇になったかもしれないが、それでもアーベルやシスターと神父に出会えて、またまともな人間としての心を取り戻せたと思っていたのに。
行き着いた先の鍛冶屋では呆気なく、そんな衝動が生まれたのだ]
…俺って結局、最後の部分じゃ天国には行けない奴だよな。
[――だけども優しい人々に囲まれている今、自分も善良な心根で居られている気がする。
箪笥の中から、よく見れば細かな縫い取りが施されてはいるけれど、結局しっくりくる緑色のシャツを選ぶ。
着込みながら、そういう自分が少し嬉しく姿見前で微笑んでみた]
――二階廊下――
食べ物相手にニッコリしてた方が、まだましってものだよな。
さて…
[この頃は一階に下りればいつも良い匂いが自分を迎えてくれる。
うきうきと扉を開いて、だがユリアンは顔を顰めた]
何だ、この匂い?
[匂いの元はすぐに分かった。
空き室のはずの左斜め前の部屋から…
それとも部屋に向かって?
どちらかは分からなかったが、点々と廊下から階段に続く染みは、乾いた血の色をしていた]
…誰かが怪我でもしたんだろうか。
[いやな音をたてる胸を肌触りの良い服の上から押さえ、一階へと下りて行った]
[アーベルは書斎から出てきた様子。
気配を消しているだとかは分からなかったが、なにやら慎重に見えた]
アーベル。・・・こんばんは。こっそり、どうしたの?
……っと。
[書斎から少し離れてあれこれと考え込んでいる間に、逃れてきたシスターが出てきたのが視界の隅を掠める。
直感が、奇妙な危機を告げた]
……気づかれる前に、撤退。
[そんな呟きを漏らしつつ、足音と気配を忍ばせて広間へ向かおうと思った矢先、声をかけられて]
……って……あ、ああ。
いや……なんでも、ねぇ。
[シスターから逃げてきたというのは、さすがに情けなく。
つい、言葉は濁された]
[珍しく言葉を濁らせるアーベルに、首を傾げる]
なんでもないのに、こっそりするなんて、変。
[少し可笑しかった。それは表情に出ているだろうか]
−過去・夢の中−
[痛い][いたい][イタイ]
[立ち込める血のにおい?]
[ふと気づけば、魂は身体を離れ、無残な亡骸と化した己を見下ろしている]
[己?]
[そう、己。白髪の老人の姿…]
――一階――
あ…。
[不吉な血の痕を目にした後、この広い屋敷に一人きり。
そんな事にはならなくてほっとする。
誰かしら人が居るだろう広間へ向かう途中、書斎近くに佇むイレーネと彼女に話しかけられるアーベルを見つけ、近寄った]
イレーネ、アーベルさん。
[近寄ってから、黙って真剣な目でじっと彼らを頭の上から爪先まで見下ろす。どうやら怪我はない]
…二人とも無事みたいで、良かった。
あのさ、俺廊下に血が点々としてたのを見たんだけど。
誰か怪我した…?
……そうかも知れんが……それは、言うな。
[何となく強引にまとめつつ。
僅か、笑むような表情の変化に、一つ、息を吐いて]
……いや、そっちには笑い事かも知れんけどな。
……!
[はっと目を開ける]
[ひどい汗。シーツまでも濡れてしまっている]
あの、顔。ギュンターといった…。
[背筋を駆け上る悪寒]
[この感覚は、夢などではない]
[それはもはや確信]
[呼びかける声に気づいて、そちらを見やる]
ああ……ユリアンか。
[投げられた問い。それに何故か、僅か、逡巡して]
……あの無表情が。
死んだ。
[それでも、端的に、要点だけを告げる。
隠した所で、どうなるものでもないから]
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