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[工房で降ろされ、奥へ一人入るユリアンを見送った。
手を差し出そうと、己を差し出そうとしたが、それは主から拒絶されていた。それだけは、駄目だと。
傍に居てくれる事が嬉しかった。
優しくしてくれるのが嬉しかった。
大好きな人がずっと待ち望んでいた主なのが嬉しかった。
だけれども。
それは幸運すぎたのかもしれない。
近すぎる距離は、本来の立場を危うくしてしまい。
一族の血に無意識に逆らってしまっている事に、気づいてはいたが止める事が出来なかった。]
[工房の風呂場で、喰らい損ね乾き切った紅を洗い流す。
甘いその雫も、乾いてしまえば食指が動かず。
半端に終わった襲撃に衝動が燻ったままとなる]
…喰らってやる…。
俺の邪魔をする、あの忌まわしき守護者め。
貴様の血肉で、この渇きを潤してやる…!
[ぎり、と握られる拳。
その身体は度重なる転変と喰らうことの出来ぬ消耗により、人型でありながら鋭き爪を宿していた。
薬を飲んだとは言え、身体には銀の毒も未だ残っている。
時間が、無い]
[残された鳶色の左眼が紅く染まる。
それは力の顕現を意味し、身体の各機能は人狼のそれとなる。
研ぎ澄まされた聴覚と嗅覚は、忌むべき相手の気配を捉え。
工房を出ると真っ直ぐとその場所へと向かった]
[そこは、己も好んで通っていた、あの村はずれの丘──]
[入り口の方で下ろされ、奥に行くユリアンをそこで待った。
主が弱ってきているのは分かっていた。
だがこの身を差し出すことは出来なかった。
主がそれを、拒絶していたからだ。
一族の血が、叫ぶ。主のための生贄となれと。
それは自分の悲願でもあった。
だけれども。
もう、出来なかった。
主が真っ直ぐ向かう先に、自分も少し離れて付き従う。
願わくば、せめてあの約束だけは守ろうと。それだけを胸に誓って。
主の気配をたどり、着いた先は見慣れた丘。]
[工房を出る前、ゲイトの傍へと寄り]
…案ずるな。
俺は、死なん。
[それだけを紡ぎ、唇を重ねた。
惜しむように唇を離すと、そのまま工房の扉へと向かう。
告げた言葉は、おそらくは最期の、嘘]
[丘の上の木に寄りかかり、物思いに耽る。
幼い頃、幼馴染たちと遊んだ場所。
しかし、その幼馴染も一人はおらず、一人とは距離を隔て。
今は、一人、そこに佇んでいた。
一人でいるという事、それ自体は自ら望んだ結果ではあるのだけれど]
……ん。
[不意に、左腕に走る、疼き。
伏せられていた緑が開き、やって来た者へと向けられる]
……や、どーも。
[投げた言葉、それ自体は常と変わらぬ物]
─エーリッヒ宅・客間─
おっちゃん…
[ユリアンの襲撃を受け重傷のハインリヒの前で、しばらく呆然としていた。エーリッヒの治療の甲斐もあったか、息はしている。生きている。
ほっと息をついて、首をあげれば、窓の外が見えた。そこには見慣れた人影が]
エーリッヒ兄ちゃん…?
……っ!
[何かに気がついたように、バネのように飛び上がった。そのままこっそりついていく。
程なく歩けば、丘にたどり着いた]
……随分と、暢気に居たものだな。
[返す口調は人狼の時のそれだが、浮かぶ表情はいつもの無表情で。
今までとの違いと言えば、欠けてしまった右眼と、残された左眼に宿る、紅き色]
慌てて騒ぎ立てても、疲れるだけだろ。
……己が成すべき事、それが見えるんだから。
[さらり、と返す。
緑の瞳は静かなまま、紅を見据えて]
にしても、まあ。
村から逃げた先で人狼に出くわして。
その後戻ってきたらまた出くわして。
……とことん、呪われてるもんだ、家の血筋ってヤツは。
…うん。分かってる。
[重ねた唇から感じる主の生命は、始めて会った頃よりはいくらか弱く感じられた。
それでも、今は信じた。
嘘も真と、信じぬいた。]
ずっと、一緒だから。
約束…私が貴方の居場所だから。
…どうか、お気をつけて。
Mein domine.(―私のご主人様)
[丘の上には守護者の姿があった。
真っ直ぐそちらに向かう、主からは少し離れた。
邪魔になるのは分かっていたから。
ある程度離れた所に静かに立ち二人を見ていた。
微か顔色は青かったが、表情は無かった。]
成すべき事、か。
[それだけ繰り返し、一度隻眼を閉じる]
へぇ、俺以外の人狼にも遭遇してたのか。
道理で騒ぎが起きても慌てる様子が無いと思った。
…俺が成すべき事とお前が成すべき事。
その内容は正反対のものだが、どちらも譲れない。
そうだろ?
我らに仇成す忌まわしき守護者!
[閉じた瞼が叫びと共に見開かれる。
そこにあったのは先程よりも紅い光を宿した瞳。
ざわりと、ユリアンの髪が逆立つかのように膨らんだ]
[丘にたどり着けば、エーリッヒと、異形と化したユリアンの姿。
下手に見つかっては、逆にエーリッヒの足手まといになるかもしれない。そう考えて、慎重に姿を隠して様子を見守る。
丘全体を見渡せば、もう一人、人の姿が見える]
…イレーネ姉ちゃん…
[ゆっくりと、イレーネの方に向かい移動する]
ま、そうとも言う。
それ以前に、親父殿から護り手の血脈として、色々と叩き込まれていたのもあるが、な。
[軽く肩を竦めつつ、言って。
ゆっくりと、木の幹から身体を離す]
確かに、完全に相反するな。
……俺は、知り合いが無駄に死ぬのは好まん。
それが、人の手によるものだろうと、異端の手によるものだろうと。
守護者の役割とか、そんなもんは、ついでに過ぎんが……。
[す、と懐に入る手。抜かれたそこには、柄に紅を燃え立たせる、銀の短剣が握られて]
使える力は、使う。それが呪いだろうと、異端の証だろうと。
[主ら二人の方を向いていたが、暫くの間何も始まらないことに微か安堵し、そして酷く緊張していた。
表の名を呼ばれたのはそんな時で。
ぴくりと、そちらの方をゆっくりと向く。]
ティル。
[少年に向けた表情は――透明な微笑み。
娼婦として、狂える者として、内の全てを覆い隠す為に身に付けた穏やかな笑みを向けた。その場からは動けなかったが。]
…エウリノ、私は…。
ううん、何でもない。
ここに、いるね。
[本当はもっと傍にたかった。
だがそれは叶えられないと、代わりに赤い世界でだけ添った。]
[左手を顔に影を作るように翳す。
開かれた指の間からは紅き光が覗いている]
知り合いなぞ、知るものか。
お前らは、俺の居場所を奪おうとした。
この村で、何もしていない俺達の居場所を奪おうとした!
異形であるからと、ただそれだけの理由で!
ここが封鎖される前、この村で原因不明の死体が転がったか!?
異形の爪痕が残されたりしたか!?
…俺はただ、静かにこの村で過ごして居たかった。
オパールの加工を学び、それを生業として過ごして居たかった。
それを壊したのは、お前ら人間だ!
[左手に隠れる紺色の髪が、端から白銀へと変わっていく。
口元は尖り、瞳は吊り上がり。
ぱさりと落ちたバンダナの下からは獣の耳が顔を覗かせた]
だから。
俺は貴様らを喰らう。
安寧を奪った貴様らに、全てに対し、復讐してやる…!
[白銀は髪に留まらず、顔や腕、ついには全身を覆い。
翳していた左手を外すと、そこに居たのは白銀の半人半獣の姿]
[自分の名前を呼ぶ声に、そちらを向いて、軽く手を上げて挨拶をする。
近づいて見えたイレーネの様子は、表情も、声も、いつもと変わらない穏やかさ。
けれど、何か不安がよぎる……イレーネが狂える人とは知らないが、ユリアンとは仲がよかったと知っていたから。
できるだけ、普段と変わらない表情を作り、近づいていく。わずかながら、緊張していた面持ちが現れていたかもしれない]
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