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「如何して。」
[ 仄暗い感情を孕んだ震える女の声。]
「如何して。」
[ 其れは憤怒か悲哀か或いは両方か。]
「如何して、違うの。」
[ 彼は其の問い掛けに答える術を持たない。]
「如何して、如何して、如何して!」
[ 激情は憎悪を呼び起こし白い頬は濡れる。]
「もう、疲れてしまったの。」
[ 一転して弱々しい声は酷く優しい響きを持つ。]
「だから、御願い。」
[ 女は光無き空虚な柘榴石の瞳を青年に向ける。]
「私を、殺して。」
[ 手渡された其れは月光を受けて銀色に煌めく。]
「―――――」
[ 其の後に彼女は何と云ったのだったろうか。]
[やがて。]
[起き上がり]
[ベッドから足を下ろす]
[然うして立ち上がり、扉へと]
[ふらり、ふらりと]
[歩き出す。][素足の儘]
[床の冷たさは気にならないのか]
[気付いていないのか]
――……………ッ。
[ 余りにも鮮明な其れに勢い好く身を起こす。胸元、浴衣の合わせを掴めば心臓の鼓動が早まっているのが解り、躰には厭な汗が伝っていた。呼吸も大分荒くなっており、ニ、三度深呼吸をして何とか整える。もう片方の手を額へと当てがった。]
夢……。
[ 声は声に成らずに、聲と成って零れ落ちる。
然し其れとて、彼と其の“同族”以外に聞く者は居ない筈だった。]
[ぎぃ。]
[扉を開け]
[廊下へと彷徨い出て行く。]
[夢遊病者の様に]
[迷い子の様に]
[先程ナサニエルから逃げようと走り出した時と比べると、]
[それは格段に確りとした足取り。]
[時折][ゆらり、]
[平衡を崩して壁に手を着いて身を支えながらも]
コ エ
ど こ ?
[館を漫ろ歩く。]
[……或いは何かを捜し求めて。]
[ 止め処なく聞える雨音に気付けば、窓の外へと視線を投げる。もう既に陽の昇る時間かと思われたが、灰色の雲に包まれた空は今も尚暗く光等差してはいなかった。雨は止むどころか、益々其の激しさを増しているかの如くに思えた。
袖で頬を伝う雫を拭おうとして、自分の纏う衣服の特異さに気付く。然う云えば、
昨晩は着替えが無かったが為に仕方無く此れを着たのだった。そんな小さな要因でさえ、過去の悪夢を思い起こさせる切欠と成ったのだろうか。……馬鹿馬鹿しい。]
……俺は……。
[ 呟きの続きは途切れ、聲にすら成らなかった。
聲は返って来る事は無く、返って来た声を彼が知る事は無い。
汗ばんだ両の手を見詰め、壁に凭れかかれば黒曜石の瞳を*ゆっくりと閉じた*。]
[ハッとした表情が浮かび]
ナいてる?
[宙を見据えたまま]
[濡れた頬に指を]
[まるで何故泣いたのか分からない、とでも言う様な]
[不思議そうな]
[……………………]
[何処を如何歩いたのか]
[広い館の階段の隅で]
[元々不確かだった足取りが]
[更に覚束無くなり][力尽きて]
[ずるずると]
[壁を背に]
[その場にへたり込む。]
[寄る辺無い子供の眸]
[そろそろ夜も明けようと言うのに暗い館の中]
[風の唸り声と][雨の叩き付ける音]
[膝を抱えて、胎児の様に]
[丸くまるく][身を縮めて]
―廊下―
[雨音は一向に止む気配は無い。客人の食事の用意を整え、自らも簡単に済ませる。
医者を尋ねに行った筈の使用人は未だ戻ってはいないようだ。この雨だ、村に辿り着いていたとしても戻るに戻り得ぬのかもしれなかった。
丁度広間に戻ってきたもう一人の使用人と入れ違いになるようにして、廊下へと出る]
[ 眠りにつくのは早かったが、恐らくは夢見の所為だろうか覚醒も早く、目覚めは御世辞にも良好とは云えなかった。何をするでも無く茫として雨音を聞いていたが、何時までも然うしていても仕方無いと思ったか、寝台を抜け出し着替えを済ませる。白のシャツに茶褐色のセーター、黒のスラックス。借りた衣服とは云え、矢張り慣れない和装よりは幾分か好いと思えた。
扉を開いて部屋の外へと出るも、静寂の包む館を支配するのは唸る風の声と雨降りの音ばかり。天候の御蔭か室内にも関わらずやけに寒く感じられた。]
[ 流石に靴のサイズは丁度とはいかず、彼にとっては些か大きい。普段より少しずれた足音は緋色の絨毯に吸い込まれるも、……カン、カンと、階段を降りる時には体重が掛かる所為か僅かに響く。一階に降り立てば先ずは食事をと広間に向かおうとして、目の前を通り掛った侍女に声をかけられる。]
ああ、今日和。……如何かしましたか?
[ 昨夜の事で何か云われるのか内心身構えていたが、其れは主目的では無かったらしくほんの一、ニ言で終わる。然し続いて告げられた言葉に緩やかに瞬いた。]
晩餐会?
[ 折角斯うして多くの人々が集ったのだから、其の機会を設けたいのだと云う。詰まりはアーヴァインもまた、広間で皆と共に食事をするのだと。]
……まあ、別段、反対する理由も有りませんが。
……暢気なものだな。
[ 自らが義弟に復讐の機会を窺われている等とは、知りもしないのだろう。「今宵よりは、明日」。昨晩聴いた其の言葉に依れば、最期の食事となるというのに。]
[ 序に靴だけは先に暖炉の傍で乾かしたからと、召使の女はハーヴェイを案内しようとして歩み始めるも、急に足を止め階段の方を振り向くと小さな悲鳴をあげた。]
……?
[ 其れは先日、ネリーが橋の前で立ち往生していた様子を思わせ、まさかと彼女の傍に寄って視線の先を追えば、案の定と云うか階段の隅で壁を背にして蹲る男の姿。丁度影に成っていた所為か、直ぐには見付けられなかったようだ。]
何でまた、こんな所に……。
[ 青年の呟きに我に返った侍女が慌てて駆け寄り声を掛けるも如何やら意識は無いようで、唯、寒さ故にか僅かに震えているのが見て取れた。]
[ 男が何の為に部屋の外へと出て来ていたか等青年は知る由も無いし、自分の聲が聴こえていた等とは思いも寄らない。]
[広間を出る間際、晩餐会をするという話を聞いていた。温室のほうで飾る花を幾つか選び、足早に戻る。先日の幽霊騒動の真相は知らされてはいても、やはり薄暗い廊下は何となく不気味であった]
…!
[ふと女性の悲鳴を耳にし、その足はびくりと止まる。階段のほうから小さな話し声のようなものが聞こえていた。
何かあったのだろうかと小さく息を飲み、はやる気を抑えながらそうと近づいて行く]
[ 周囲を窺うも降り続く雨の所為か、彼ら以外に動く人の気配は無い。如何でも好い時には居る癖にと内心悪態を吐いたが、其れで何かが変わる筈も無くて耳の辺りに手を遣りながら、男と侍女の傍に近寄りしゃがみ込んだ。]
取り敢えず、広間に連れて行きましょうか。
其処までくらいならば、俺一人でも運べますから。
[ 心配そうな表情を浮かべそう申し出る。斯う云った自分の性質は好い加減厭になるが、既に染み付いてしまったものなのだから仕方が無い。
意識が完全に無いというよりは朦朧状態なのか其れとも無意識の譫言か、何を呟いているように聞えた。殆ど声にも成らない呻きのようなものだったが。]
……失礼しますね。
[ 呼び掛けようとして名を知らぬ事に気付き、また何と云ったものか迷いながらも、幼子を宥めるように声を掛けながら体勢を崩させ彼を負る。]
非力と思わせておいた方が得なので、御内密に。
[ 御世辞にも逞しくは見えない青年が自分よりも体格の好い男を背負う姿は奇妙に見えたか、控えていた侍女が驚きに目を瞬かせるのに、冗談めかして彼は云う。]
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