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[ 扨、広間に向かおうかとすれば、微かに零れるピアノの旋律が耳に留まる。
青年が此処で其れを聴くのは初めてで、雨音に混じる音色は書斎の静けさとは違う快さを齎す。誘われるように何と無しに其方へと歩みを進めれば、或る部屋の前迄辿り着いた。彼には縁の無い場所であるが為に足を踏み入れた事は無いが、確か音楽室だっただろうか。]
あなたは、二度も…僕から姉を奪った。
[熱したその金属棒を、彼の頬へと押し付ける。
肉のこげる特有の匂い。]
…それが許せない、それだけなんです。
[喉が潰れていなければ、その声は絶叫になっただろう。
必死で振り上げる左腕を事も無げにねじ上げ、無造作に引きちぎる。
どさりと放り出されたままひくつく、離れ離れになった腕と胴体。]
…おっと、これはいけない。失血死されては困るんですよ。
[ボタンが取れた時くらいの調子でそう言うと、焼けた火掻き棒を押し付ける。
傷口を焼いての、乱暴な止血。]
[ 音色に聴き入る青年には今は聲すらも届かずに、何が起こっているか等は知る由も無い――否、仮令知れたとしても、邪魔立てする気等有りはしなかったが。
館の主と訪問客。彼の男と青年の関係等、其の程度のものだった。]
[怯えきったまま見上げる、震える目。]
…あなたでも、そんな顔をするものなんですね、義兄さん。
[くすくすと楽しげに、口元に浮かぶ笑み。]
─音楽室─
[緩やかに、旋律を紡ぎつつ、ふと、記憶を過去に彷徨わせ。
家の事情で祖母の元に身を寄せたばかりの頃。
連れて来られたこの場所は、それまでとは余りに違っていて。
最初は、何もかも怖くて、祖母の後ろから出られなかったのだけれど。
いつの間にか。
ここに来て、ピアノを奏でる優しいひとと。
話すのが楽しい、と思うようになっていたのだ、と思い出し]
…さて、次は何処から行きましょうかね。
[傍らにしゃがみこむと、その顎を取って楽しげに覗きこむ。
パクパクと何事か言いたげに、義兄は必死で眼で訴える。]
…楽になんか、してあげませんよ。僕はイキの良いほうが好みなもんでね。
死者を喰らっても、味も素っ気も無い。
[ぺろり、とその頬を舐め。
既に常人ならば気を失っていてもおかしくない状況で、それでも意識を失えないのは、先ほど飲ませた薬が効いてきたからで。]
……幽霊、かあ。
[小さな声で、ぽつりと呟く]
出てくるのが、優しいひとだけなら……それなら。
視えたって、聴こえたって……全然、気にならないんだけど……ね。
[ふ、と伏せられる、瞳。
碧のはずのそれは、何故か。
淡い紫へと変貌しているようにも見え]
[シャツのボタンを爪で千切りとるように外し、首筋から胸へと舌を這わせていく。]
…あの売女とも、こんなことを?
[からかうようにかける声は、細く高く亡き姉のもののように。
やさしく撫でる白い指は鉤爪となり、
臍へと深々と突き刺さる。
果物を剥くように、無造作に裂かれる腹。]
[ トンと壁に背を凭れさせ顔を上げれば、其処には当然空は無くランプの焔に照らされる無機質な天井が見えるばかり。館の外、瀟瀟として吹き荒ぶ風雨も何処か遠くに、静謐な空間に漂う緩徐なる音色が現在は全てで。
漆黒の双眸を伏せて細く息を吐いた。]
[ 安らかな心地に成った事等、母を喪って以来殆ど無かった。
あるとすれば、其れは静寂に覆われた書斎の中でのみだろうか。若し其れすらも失われたなら、己は崩れてしまうかもしれない。
否、既に崩れているか。]
…そういえば、義兄さん。東洋の文化にも造詣が深かったですよね。
[腹の中から臓物を引きずり出しながら話すにしては、やけに暢気な言葉。
邪魔な腸を掻き出し、やわらかな肝臓へと歯を立てる。
昨夜食べたデザートのことを、僅かに思い出した。
些か新鮮さの無いひねた味だが、久しぶりの"食事"は格別で。
何より、触れた肌から伝わってくる恐怖と苦痛の色は、最上級のスパイスで。]
確か…"ハラキリ"でしたっけ?
あれって、切ってもすぐには死ねないんでしたよね。
…腹部の傷は致命傷にはなりにくいらしくて。
[縮み上がった胃に爪を立てれば、むせ返る様な吐瀉臭。
胃液が腹腔内を焼いていく。
苦しげに身を捩っていた動きが、小刻みな痙攣へと変化する。]
こうやって、内側からゆっくり溶けて腐り…三日ほど苦しんで死ぬのだとか。
[感覚の赴くままにしばし、旋律を紡ぎ続けるも、さすがに限度というものもあり。
何曲目か、数えるのも億劫になった曲の終りと共に、ようやく手を止める]
……ん?
[それと前後するように、扉が開く気配を感じて]
……あれ、誰かいるの?
[惚けた声で、問いを投げ]
[なるべく太い血管を傷つけぬよう。
出血が酷いところは焼きながら…
太腿に噛み付いて、未だ衰えるには早い筋肉を貪って飢えを満たす。
筋の固い膝から下は、なんとなく折り取って。
既に白目を剥いて痙攣を繰り返すだけの肉塊。
だがそれでも、その心臓は止まることなく。
胸元まで裂かれた皮膚と肉と胸骨の下で、鼓動を刻み続けている。]
……ん?
[ 僅か興味に駆られつつも演奏の邪魔をせぬようにと薄く扉を開けば、ピアノの前に座る人物に些か意外そうにして緩やかに一度、瞳を瞬かせた。]
メイか。
[ 名を紡ぐ青年の声もやや惚けていただろうか。口許に手を当てながら、様々な楽器で彩られた部屋の中に躰を滑り込ませ、そっと扉を閉める。其の小さな音ですら、何かを壊してしまうのではないかといように。]
[うわごとのように、唇だけが動き、
時折その目が恨みがましく、返り血に染まった白い顔を見上げる。]
…別に二つも要らないか。
片方だけでも十分見えますよね?
[さらりとそんなことが耳に入り、びくんと義兄の体が跳ねた。]
[入ってきた青年に、や、といつもの挨拶をして。
それから、意外そうな様子に気づいてか、僅か、首を傾げつつ]
うん、ボクだけど。
……意外かな、弾いてたのがボクで?
[問いかける声はやや、冗談めかした響きを帯びていたか]
[ぎゅっと閉じられたその瞼に唇を落とし、
長い鉤爪を目の際へと埋める。
抉り出された眼球では無く、そこにぽっかり開いた穴へと、
唇をよせ、舌を挿しいれて、やわらかな組織を味わう。]
…ここが一番、やわらかく甘い。
ごちそうさまでした。
[義兄を生きたまま食い荒らし、返り血を浴びたその姿で発したその言葉は、
その光景が恐ろしく見えなければ滑稽に見えただろう。
それでもまだ生きているその体を壁に持たせかけ、心臓が皆に良く見えるように、と…胸骨を引きちぎった。]
[眼窩からも、片目からも涙を流し、
引きつった笑顔の形に緩んだ口元からは、だらだらと涎が垂れていた。
時折、ひくり、ひくりと痙攣する肉塊の中心には剥き出しの心臓。
それでもまだ生きていることがひと目でわかるように。]
意外と云うか、驚いたというか。
[ 何方も然して変わらないのだが、ゆっくりと部屋に足を踏み入れ、視線を巡らせて彼方此方置かれた楽器を眺めながらピアノの傍ら迄来ればメイの方を見遣り、]
納得と云えば、納得かな。
[半ば独り言ちるように付け加える。]
音楽には詳しくないから上手くは云えないが、好い演奏だったと思う。
[ 言い方に問題はあるが、此れでも賛辞の心算らしい。]
まあ、ここ以外じゃ弾かないしね、ピアノ。
[返ってきた答えに、軽く肩をすくめ]
……それに、どっちかって言うと。
人に聴かせるよりは、自分が落ち着くために弾いてるようなもんだし、ねー。
[鍵盤に視線をやりつつ、ぽつりと呟く]
と、いうか……なんか、微妙に褒められてるのかどうかわからない気がするんだけど、それ。
[白い狼の姿へと変じると、返り血を浴びた服を暖炉へと放り込んだ。
木綿の薄手の服だったから、僅かな時間で跡形も無く燃え尽きるだろう。
千切りとった腕と、足と、眼球を、天井裏へ隠すように運び込む。]
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