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[あの時は説得すべき相手は其処に居ないと思っていたから
男はロランにキリルを説得する為の働きかけをしようとしていた]
――…あの時、
僕が如何やって説得するのか、知りたかったのか ?
如何、ロランを止めるのか――…
[問うものの答える者は此処に無い。
困ったような、どこか自嘲的な笑みが漏れた]
―― リビング ――
[とれたての卵と牛乳。
それから貯蔵庫に保存していたチーズと豆、たまねぎにじゃがいも。
男は厨房でレンズ豆のスープと、パンケーキを人数分用意した。
作りなれたものではあるがカチューシャには及ばぬ素朴な味のもの。
パンケーキの横には切り分けたチーズが添えられてある。
起こすのは悪いと思ったのか声は掛けなかった。
自分の分を平らげると、
空になった食器だけ片して家を出る**]
[陽光が村を薄く照らし始める頃、
ロランの姿はキリルとレイスの家の裏にあった。
傍らには黒銀の毛並みを持つ狼が控え、
イヴァンの畑に置いたままの車椅子の代わり。
見下ろしているのは、白い花。
可憐に花開いた、その夢のような香り纏う花]
…本当に、いい香りだね。
[呟くと、ひとつの花を土から掘り返す。
あの時、あの山で、そうしたように。
根ごと革で出来た袋に入れると、鞄に入れた。
そして狼の背にしがみつくと、獣は力強く地を蹴り。
いくらかの獣の毛と土踏む足跡を残して、
黒い大きな影は森の中、川の方へと消えた**]
……ん、
[彼は兄を喰らうのだという。
こわくない、と。密やかな声に呟き返して瞑目した。
───紅い月が、同胞の目が紅く染め上げている]
兄貴、……ごめんね。
ボク…は、
[止めない。止められない。
兄は呆然と立ち尽くして見えた。そうだろう。
目の前で自分は死んでしまった。
憎むなら、と兄は言った。殺されてもいいと言った。
勘違いだったと言った。
ならばあの行為はきっと、
───…自分を守るためだったのだろう]
[あれがなくとも、いつか恋人は死んだだろう。
兄もきっと死んだだろう。
自分が殺した。いつか殺したに違いない。
この牙にかけ、その血肉を啜ったに相違ない。
彼らを殺したのは自分。
大切な人たちを苦しめたのも自分]
────…。
[言葉なく、その光景を見守る。
目を逸らさずにすべて見た。
兄の首にナイフが振り下ろされるのも見た]
……、…
[ごめんね。と、唇だけで形をつくる。
向けたは喰らわれる兄へか、涙止まらぬ同胞へか。
自らにも判然とはしない。どちらへも、であった]
[さわりさわりと花が静かに揺れている。
花々に抱きしめられたような気がした。
そんな資格ないはずなのに、
優しく慰められたような気がした。
───大好きな、イヴァンの微笑みを見るようだった]
[目を閉じる。
じわりと眦に涙浮かぶ心地がした。
ただ一人の同胞、
寂しい彼の元へも温もりが届けば良いと思う。
…その腕に、触れられれば良いのにと願う]
― ユーリーの家 ―
[夜が白々と明けるまで、幼馴染との思い出を思い返してる。
日の光が窓から差し込んできた頃、家の中で動く物音がする。
けれど、起きて行く事はしなかった。
一睡も出来なかった顔は酷い事になっている]
――……キリル……
[目を閉じて居れば、兄やイヴァン、キリルの姿が脳裏に浮かび。
嘆くロランと、妹をなくしたレイスの姿も浮かんだ。
思考はまとまる事もなくちぢに乱れて。
ミハイルが泊まっていたのなら、その物音も聞こえなくなった頃、ようやく起き上がった]
――会いに、行かなくちゃ。
[レイスか、ロランか。
どちらかが息断えた姿で見つけられるだろうことは解っている。
それでも、どちらにも生きた姿で会えれば良いと願っていた]
[ユーリーが用意した食事は、食欲がなかったから、レンズ豆のスープだけいただいた。
日常を思い起こさせる素朴な味に、ほんのすこし目元を和ませ。
食卓の上を綺麗に片付けてから家を出た]
[花が揺れる。
揺れながら低く詩のない唄を歌う]
[肉体から溶け出した何かが、懐かしい何かに触れた気がした]
『キリル』『キリル』
[花が歌う。弾んで歌う。
まるで祭りの篝火で、青年が恋人の姿を見つけてぴょんとかけよるみたいに]
[幸せだった。
あっという間に壊れていった]
[殺された。
そりゃまあ痛かったし嫌だったし訳が分からなかった]
[日常を愛してた。愛してた相手の裏面まで見切れてなかった。未練はきっと数え切れないほど]
『……………』
[あぁ、まぁしょうがないか。
花はさらさらわらう。きっと紅い血と一緒に何かそういうものは手放してしまった気がした]
[まるであの紅花が黄色い染料を水に溶かしきってしまうみたいに]
[キリルの家に泊まったときに使う予定だったものは、ユーリーの家での着替えになった。
黒ではないけれど、深い茶色のワンピースを選んだのは、兄の死を悼むためであったのに、今ではイヴァンやキリル、イライダを悼むためのものだ。
イライダの死は、昨日、ユーリーの家に落ち着いてから、ユーリーからか、またはミハイルから聞いていた]
[花が揺れる。畑から畑へ]
[そういえば、少し前にイライダの感触に触れたなと思った。
ふらふらさらさら揺れる。
風に任せていれば、旧友の魂にもふれられる気がした]
『ごめんな』
『シーマ。ごめん』
[謝る。何に対して?
彼の恐れを共有できなかったことに対して。
彼の仇を愛していることに対して。
幸せになれなかったことに対して。
醜さを隠していたことに対して]
[シーマに馬ァ鹿と後頭部を叩かれたような気がした]
[やがて何より愛しい恋人の気配や、自分を殺したその兄の気配も増えるんだろう]
『……………』
[花はゆっくり揺れている**]
― ロランの家 ―
[先に家を出たユーリーやミハイルの姿はあっただろうか。
レイスの死を彼らが先に発見していたらきっと中に入るのは止められるだろう。
けれど、制止を振り切って飛び込んだ。
――その、凄惨な光景に、足が止まった]
…… れ、いす さん……?
[酷い遺体をみたのはイヴァンが殺されるのを目撃したときぐらい。
人狼に襲われた後がどうなるのか、初めて目にして。
そのあまりの酷さに顔から血の気が引いて、その場に座り込んだ]
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