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─自室─
[ぱちり、目を開ける。
動けなくて、苦しくて、息がうまく吸えなくて。
ぼんやりとしたまま、ベッドの上で身じろぐ。
きゅう、と小さく情けない音。]
…おなかすいた。
[大きな窓にかかる、レースのカーテンからは、
春のやわらかな日差しが差し込んでいて。
黒のひらひらフリルのワンピースを着たまま、ベッドの上で拘束されたまま。
梱包を解く途中で忘れられたお人形のよう。]
たすけてあげなきゃ おこしてあげなきゃ
いいひと やさしいひと こわがってるひと かなしんでるひと
みんなおこしてあげなくちゃ
ぜんぶ わるい ゆめだもの
おじいちゃんみたいにこわしちゃえば
ちゃんと むこうへ もどれるね
こっちへもどってこれないように
しっかり こわして おこさなきゃ
[それは彼女にとって"よいこと"。
やらなきゃいけない大切なこと。
ころん、とベッドから転げ落ちて、じゅうたんの上をもそもそと這う。
折り紙を切ったときに使っていた、小さなハサミを見つけ出し、
細い細い糸をぱちん。
ぱちん。
ぱちん。
ぱちん。]
[…それにしても、だ。
此処最近、特に「神の箱庭」に来てから、
素早い動き、闇の動きを必要としなかったからといって、
そうそう身体が鈍るわけは無い。
彼は此処に来て強化された「記憶」に、それに関連する様々な「言葉」に「情報」に、やや心を乱されていたのかもしれない。
彼女、ベアトリーチェ…のみと言わず、誰を見ても何を見ても、強く物を思う。
それは「この場所」に掛けられた「魔法」がそうさせるのか?
それとも「彼自身」に掛けられた「魔法」がそれなのか?
それとも…?
彼にはまだ、分からない。]
[兎に角、彼にとって一番分からないのは彼女だった。
昨晩アーベルに「知っているのは名前だけだ」と言ったが、彼の情報網を持ってしても彼女の事は此処、箱庭で得た物以外何一つ無いといってもいいほどしか分からなかった。
アーベルに、彼女の事を頼んだが。今はどうなっているだろうか。
目を覚ましているなら話を聞きたいところだが、私を見て彼女はどうするだろう?
まだ、彼の好奇心の対象である彼女を、殺してしまいたくは無い。
だからといってこちらから行かずに放置しておけば、もし安全だった場合彼女の暴走を見た人にやられてしまうかもしれない。
早い方がいい。
彼はそう判断した。
身体に仕込んだ武具防具を確かめると、グリューワインを一気に煽り、部屋を後にする。]
[ぱちん。
ぱちん。
きらきら光る糸を一本一本切り落とす。
ぱんぱんっと払えば、窓から差し込む春の日差しに、糸がきらきら舞い落ちた。
立ち上がり、ドアへと歩こうとして。
ぺてりとこけた。]
…あれぇ?
[まだまだ沢山絡み付いていたみたい。]
[ふと、昨晩のナターリエの言葉を思い出した。
どれだけ愛しても、死は必然。願うは安息。
足を止め、目を瞑り眉を顰める。]
…。
[…今、考える事ではない。
目を開くと昨日まであかき模様のあった場所の近くを通り、ある部屋の前へ――]
[彼は堪えきれずに笑った。
銀糸が幾つか床にある事は気になるが、この少女の顔と自分の顔は、あまりにもアンバランス。
転がっているベアトリーチェの近くに腰を下ろした。――ある程度の距離は置いて。]
こんにちは、姫君ベアトリーチェ。
少しお話を聞いても宜しいかな?
──自室──
[クレメンスは自室で、書斎から持ち出してきた本を読んでいる。まだ熱が残っているのか、溜息を零す。]
うむむ…。
[洗面所に行き、水を張ると顔をざばりと洗う。
顔を上から手で拭いながら、タオルをとり…ふと鏡を見る。]
異能か…。
[人狼が居らずとも御伽噺となろうとも、人は違和を感じる人間を迫害する。
教会の異端審問局は、異教徒を。
人間達は、異能を。
己に違和を感じる人間は、自分から身を引く。世界に受け入れられないと。
それでも、この世界は美しい。クレメンスは信じている。]
アーベル…。
[何故裏通り暮らしを選んだのかを、クレメンスはまだ聞いていない]
君のその名前、「Beatice=Leer=Wiederholung」。
「Beatice」は幸運をもたらす女を。
「Leer」は空っぽを。
「Wiederholung」は繰り返しを。それぞれ意味するね。
…君が歌う歌に、とても近い物を感じる。
君はその事を如何思う?何処でその歌を?
[途中、口調に緊張が走るが。
彼の出来る限りの力で、優しく言う。]
おはなし?
[何とか体を起こして、じゅうたんの上にぺたんと座る。
その翠の大きな目が、じーっと眼鏡の奥を見つめた。]
わたしは、わたし。
ずーっと、わたし。
いろいろかわるけど、わたしは、わたし。
たりなかったらよばれるの。
たりないぶんに、わたしはなるの。
なんどもなんども、くりかえすの。
ずーっと、ずーっと、ずっとずっとずっと。
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