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[名前程度にしか字の読めない少女には、瓶に記された名前は読めず、そのなかで一番小さい、半透明の青い瓶を手に取る。
これならばきっと、力の無い自分でも人を殺すことができるだろう。
震える手で小瓶を灯りに透かせば、中の液体がとろりと揺れた。]
―回想・前夜―
[ 今にして思えば其の時は気が急いていたのかもしれない。普段ならば、皆が完全に寝静まる頃を待っていたというのに。人の負の感情や生死に関わる出来事に接して来た訳ではないのに、未だ慣れぬ狩りを連日をした疲労もあったろうか。
然し、是迄抑えられていた欲望が解放されたかの如く獣の衝動は留まるところを知らずに、其の夜も彼を掻き立てた。]
[ 階下を彷徨う赤髪の少女の匂いを嗅ぎ付け、気配を消せば其れを辿ってゆく。軈て少女は一階の奥に在る兇器の収められた部屋へと向かえば、そっと鍵を回して其の禁断の扉を開き、薄闇の中に華奢な躰を滑り込ませた。
其の様子は数日前、少女の慕う侍女の行動を思わせたか。然し今度は相手に気取られぬよう、薄く開いた扉を注意深くゆっくりと開くも射し込む灯りはほんの僅か。
辺りを探る少女が此方に背を向けていたから、其れには気付かなかったろう。其れを見留めれば己が身を黒狼へと変え、するりと中へと入り込もうとして――。]
[これを手にして、自分は何をしようと言うのだろう。
誰を殺すと言うのか。
緑の髪の優しい少女は、この部屋で何を見、何を求めたのだろう?]
人狼を……殺す?
[人だって、人を殺す。
誰を殺せばこれが終わると言うのだろう。
少女にはもうわからない。]
[“バシィ”]
――……ッ!?
[ 見えぬ壁か何かにぶつかったかの如く、音も無く其の身が弾かれる。流石に其の体躯を強か打ち付ける様な間抜けな真似はせずに着地はしたが、激突の衝撃を受ければ痛みが襲い、一瞬判断が遅れた。]
―広間―
[結局今日も手をつけられることのなかったスープを片付けるつもりで向かった、その筈だったのだが。
ソファへと沈み込み、纏まらぬ思考を巡らせる。
ふと。金糸の髪持つ少女の姿を思い起こす。
ちらりとしかその姿を確認することはできなかったのだが、少女といつも行動を共にする異端審問官の姿はないようだった。
そう言えば、今日は一度も彼の姿を見ていないのだ。
そう言えば、蒼髪の青年は「人を探してくる」とは言っていなかったか。
もしかすると、今日襲われたのは――?]
[ ハッと闇色の双眸を見開き、一度床に伏せた黒銀の体躯を起こして辺りを窺う。少女には気付かれたろうか。若しくは、周囲に人影は――?
理解の及ばぬ出来事に冷静な判断力が一時失われたか、唯、人の姿で見付かる事だけは避けねばと一挙に走り出した。絨毯に足音は吸い込まれるも、完全には消しきれまいか。黒き影は疾風の如く廊下を横切り真っ直ぐに階段を駆け上がる。]
[手の中で透かしたガラス瓶に映るは、黒い影。
少女はびくりとして後ろを振り返った。
ガラス瓶がその手を滑り落ち、足元で小さな音をたてひび割れる。]
[振り返り視線を這わせた先、薄く開いた扉の向うにはただ闇が広がるばかり。
その先を見ることが出来ず、少女は立ち尽くす。]
―――ッ!?
[思考は中断される。
先程感じたのが袖の内に封じた“それ”の振動であることは疑いようもなく。
そのことが示すのは一つ]
お嬢様…っ!
[思い至った瞬間、彼女は赤毛の少女の姿を求めて広間を飛び出した。
その一瞬前に黒い影が階上へと駆け上がって行ったことには気が付かぬままに]
―広間→…―
[廊下に飛び出し、見渡した。
灯りが洩れている部屋を見つけると、そちらへと近づいていく。
そこが何の部屋だったか、などは今の彼女に気にかける余裕も無く]
[呼ぶ声に、今一度大きく、身を震わせる。
自分をそう呼ぶのは彼女だけだ。
震える体を抱き締め、少女は扉の向うの闇を見据えた。]
[扉に手を掛け、開く。淡い光が廊下に漏れ出す]
――!
[その中に少女の姿を見留めれば、安堵のためかずる、と扉に凭れるようにして。
けれどそれは一瞬のこと]
お怪我は、ありませんか…?
[部屋の中に一歩、踏み出した]
ネリ−!
[部屋に踏み出した緑の髪の少女に駆け寄る。
近寄ると、彼女の息が乱れているのが分った。
何よりも、自分を見た彼女の表情。緑の目は、何よりも雄弁で。]
私は、大丈夫よ。
申し訳ございません…
私の注意が足らず…
[息を吐き出しながら、1人にしてしまったことを詫びる。
少女を襲ったのが獣ではなく、人狼に怯えるただの人だったら――そう思うとぞっとして。
彼女は自身の思慮の至らなさを呪った。
暫くして息を整えると]
……さあ、もう夜も遅いですし。
[そう言って、少女を促す。
少女が何故ここにいるか、などを尋ねることもせずに]
[黒い影が出ていったばかりの廊下。
そこからやって来た少女。
影が、自分の恐怖がみせた幻ではないとは言い切れないけれど、彼女が人外の影と見ることもできたかも知れない。
けれど、それならこの人はこんな顔はしない。
たとえ、彼女が人外の獣だったとしても、それがなんだと言うのだろう。
人も獣も同じ。殺す生き物なら、自分が信じたいと思った存在を信じればいい。
ヘンリエッタは、緑の髪の少女に*微笑んだ*。]
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