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オレは、絵描こうかと思ったんだ。
そしたら、誰かいるみたいったから。
[布の下に隠れていた左手を露にする。
言葉の通り、一冊のスケッチブックがあった]
月は確かに、誘われるような気がするよね。
秘密の話じゃなくて、残念だけれど。
[花へと話題を導かれ、視線が動く]
この花?
うーん……、嫌いじゃないよ。
変わった形、してるよね。
[左手を下ろし、右手が花弁に伸びる。
微か湿った表面を撫ぜるように、宙を指が滑った]
そもそも、花はすぐに散ってしまうから。
好きでもないけれど。
……叱られても、正直困るんだがな。
[広間で向けられた言葉を思い出し、微かに眉が寄る]
俺がどうなっていようと、別に、俺の勝手だと思うんだが。
[何処か投げやりに言い放ち、泉の畔に膝をつく。
周囲の緋が、微かに揺れた]
記憶が戻らぬ間では確かに、無益な問いでしょうか。
[重なる腕の気配に、伸ばしていた手を引く]
[チリン]
此処以外の何処かに自分が居た。
それすら確信を持てないのは…、
[ひそりとした言の葉は、最後まで語られる事が無い]
困るなら、叱られるようなことしなければいいんだよ。
人が人と関わり合う以上、
一人の行動が、自分だけの勝手って、
ないんじゃないかな。
何かしら、影響は与えるもの。
[語調は変わらず、平坦な言葉を並べる。
視界の端での動きに花弁から泉へ流れた視線は、
水面に揺れる月の姿を見て取った。
歪む、円。]
[碧眼は、関心の色を帯びてスケッチブックへ向けられた]
[緩やかな動きで、女は少年の元へ歩みを進める]
それでは今から、秘密の話しだった事にいたしましょうか。
[感情の薄い声]
[指先を伸ばし、少年のあかの髪を掬う]
……必要な事なら戻る、無用なら戻らない。
記憶に関しては、そんなものと思うしかないんじゃないかね?
[引かれる手と、それに伴う鈴の音を聞きつつ、こう返し]
確信なんて、恐らく、誰にもない。
……なら、そこで考えすぎても仕方がないだろ。
[言葉と共に、水面に伸びる。
紅を滲ませる白に包まれた、左の手]
……そういうもの、かね。
[並べられる平坦な言葉に呟きつつ、指先を水面に触れさせる。
波紋が揺らぎ、冷たさが伝わる。
これに浸せば熱は和らぐか、などと思いながらも。
他者の居る場でそれを行うのは、躊躇いが先に立った]
[寄ってきた女に、見る?と差し出しかけ、
掬い損ねた髪が他を揺らし、片目を細める]
それはそれで、どんな話だったか、
気になってしまいそう。
ああ、そもそも花の命の短さが。
[確認の様に、吐息混じりの反復を]
儚いものが苦手でいらっしゃいましたか?
それこそを佳いとする者も居る様には思いますが。
そういうもの、じゃないのかな。
オレよりあなたのほうが、
きっと、知っていると思うけれど。
[波紋は円を崩していく。
水面に映し出された月が、
形を保とうと揺らめいていた]
ヴィー、寒くない?
それとも、熱い?
必要ならば。
けれど、大切なものほど失い易いとも。
それはきっと記憶であれ。
[碧は瞼の裏に隠れ、長い睫毛が落ちる]
[くれないは弧を描いた]
それでも貴方ならば、また拾うだけ、思い出すだけとおっしゃるでしょうか。
[声はいつまでも問うばかり。けれど、裏腹な同意]
仕方無いもの。そうかもしれませんね。
苦手――に、なるのかな。
すぐにいなくなってしまったら、詰まらないもの。
それに花は動かないし、あたたかくもない。
[視線は水平へ。
音を紡ぎ息を漏らす、女の唇を映した。
描かれる弧を。]
キャロは佳いと思うの?
この花が、好き?
さて、それはどうだかね。
[知っていると思う、と言われ、口元に掠めるのは何処か冷たい笑み。
波紋に揺らぐ月に蒼氷を細めつつ、結局、手を軽く浸すに留めて水から離れる]
別に、寒くもなければ、熱くもないが?
[問いへの答えは、一部は偽り。
しかし、熱を感じるのは一部のみ故に、完全な偽りとも言えず]
冷えますよ。
[先程泉に浸した指は、風にも熱を攫われて、克明な白さ]
[同じ様、泉に触れる青年に短い声を]
見ても構いませんか?
[差し出されたスケッチブックに意を察したか、少年へと問い掛ける]
[また一房あかを掬い]
それでも秘密にしなければ。
そういうものでございましょう?
[大切なものほど、という言葉。
それに、紅の源が疼いたのは気のせいか、それとも]
……それで、正解。
必要であるなら、取り戻し、留めるだけだろ。
[肯定の言葉はさらりと軽く。
水を離れた手から落ちた雫が、複数の波紋を水面に浮かべた。
冷える、との言葉には、ああ、と気のない声を返すのみ]
[眼に映るは女の笑み。
泉に映るは男の笑み――
それも、波打つ水の合間に消える]
そうそう、冷えちゃう。
[キャロルの言葉に、同意を示す]
熱くないなら冷えたら寒いし、
熱いなら冷やしたいのかと思った。
ふふふ。
退屈を嫌われる方が、こちらにも。
温かく、動くもの。それがラッセル殿の好きなものでしょうか。
[静かな笑み。その形は変わる事なく]
――はい。
[少女のような、聖母のような、娼婦のような印象を兼ねた微笑]
[恭しい声が、短く肯定を返した]
秘めなければ秘密じゃないものね。
秘めたものほど、知りたくなってしまうけれど。
[女を真似てか、微か口端を上げた。
許可を口にする代わり、
髪を掬う手を取り、
己の手にする冊子の上に導く]
冷えたからって、凍りつくわけでもないだろうに。
[大げさな、と言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
少年の言は正鵠を射ており、言い当てられたが故にか、冷笑は苦笑に転ずる]
……さて。
それじゃ、俺はもう少し、月に惹かれて彷徨うか。
[蒼氷を天に座す月に向けつつ、言って。
ふらり、緋色の中へと*歩き出す*]
こちらにも?
[確認めいた言葉には曖昧に頷きを返す。
己にも確かではないものであるから。]
……キャロは好きなものが多いんだね。
[連なる印象を紐解くように、言葉を重ねた。
渡したスケッチブック、
その紙の上に描かれるのは、
白と黒で綿密に写し取られた世界。
其処には城があり、空があり、花があり、
しかし、人だけは何処にも居ない。]
[頭を垂れたその姿勢のまま、女は青年を見送り]
[またあかを掬おうとした手に、温かい掌が触れる]
ありがとうございます。
[その場に屈み、端を折らない様、丁重にスケッチブックを捲る]
私の好きなものはたったひとつで、そして沢山。
[捲る動きの度、鈴が揺れる]
[人が居ない絵画ばかりである事に女が気付いたのは幾枚目の事*だったか*]
冷えて直ぐに凍るわけではないけれど、
冷えて冷えて、冷え切ってしまったら凍るかも。
[彼方へと向かう背を見送る。
視線はそれより、少しずれた位置だった]
ひとつで、たくさん。
全ては同じものなのかな――
[繰り返す。
絡み合った糸は未だ解けない。
鳴る鈴の音を聞きながら、天と地、二つの月を眺めていた。
手は届かず、届いても得られないもの。]
戻ろうかな。
[程なく時が経った頃、そう呟く。
景色を描くことはなかった。
やがて女を誘い、古びた城へと舞い戻る。
揺れる花は、よろこびに*ざわめくようだった*]
……いえ。何でもありませんよ。
[振り返ったニーナに手を振って微笑み――彼女には表情は判別できないのだが――、彼女が出てゆくのを見守った。]
[盲目か……否、恐らく弱視なのだろうと判断し、それ以上触れはしない。
色でものを見ているのだとは、知る由もない。]
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