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[少しずつ動いていく、黒い列。
牧師はこの先もこうして、誰かを見送るのでしょう。
棺の中身は服の切れ端に、壊れたランタン。
せめて彼の身体の一部でもあれば
ホラントさんについて、わかるかもしれないのに。
雨の降り始めた空を見あげて、
牧師は小さく神への文句をつぶやくのでした]
[ぐしぐしと帽子の影で鼻をすすっていた羊飼いはアナの言葉に顔を上げました]
アナ、森に行くのは危ないよ。
[言ってから、危ないのは森だけではないかもしれないと気付きましたが、羊飼いはその考えを頭の奥に押し込めました]
もっとも、一度に知れるのは、ひとりだけ。
だから、慎重に、隠れていなさい、と言われてきたのです。
[でも、動き出してしまったから。
もう、隠れるだけではいられないのです。]
……ええ。
ホラントさんが、誰にあのお話を聞いたのかはわかりませんけれど。
本当の事、なのですわ。
アナさん、
危ない真似はしてはいけませんよ。
アナさんに何かあったら。
ホラントさんが悲しみます。
[少女の決意のような言葉が耳に届くと、
牧師は彼女を嗜めるように言いました]
探してどうするつもりなのじゃ?
[アルベリヒに問い掛けるおじいさんの目は、少し鋭くなっていました]
それでいいのじゃよ、出来なくて当たり前じゃ。
普通の心を持つ人間なら、そう簡単に誰かを疑うことなど出来ないはずじゃ。
そうでない者は――
……その村が滅びてしまったのはのう、村人たちが、誰の事も信じられなくなったからなのじゃよ。
〔空っぽの籠はそこに置いて、火のついていないランタンを手にしたアナは、まるで、今、ほかのみんなに気づいたみたいな顔をした。〕
エリーにフリー、ゼルマお婆ちゃん。
こんにちは!
〔他の人の姿も見つけたら、同じように、ご挨拶。
にっこり笑って、いつもと同じようにするのだった。〕
アルベリヒさんに、牧師さま。
どうして?
危ないのは、黒い森じゃないもの。
だいじょうぶ。
それに、黒い森には、きっとお兄ちゃんだっているもの。
〔アナは不思議そうな顔をして首をかしげてみせる。
泣いている羊飼いとは違って、涙のあとだって見えなかった。〕
[アナの様子が意外にしっかりして見えたことでゼルマは自分がこんなではいけないと思いました。
そうして、取って付けたように亡くなった兄を見送る列に混じります。]
やはり、探すしかないわね。もしもそれが本当ならば。
[誰にも聞こえないだろう小さな呟きでした。
空が啜り泣くような雨粒を落とし始めており、人々の足音があり、そばに戻ってきたヴァイス以外には聞こえなかったことでしょう。]
[黒い森は、危ないよ。
狼が出るよ、狼が出るよ。
みんなの目から隠れて、狼が狙ってるよ]
ホラントさんが、黒い森に?
[普段と変わらぬ調子で喋る少女に
牧師は複雑な顔をします]
アナさん、森の家に帰るつもりですか?
宿に泊まっても、教会に泊まってもいいんですよ。
……アナ?
[急に元気になってにっこりするアナに、おじいさんは不思議そうな顔をしました。
この教会の中で一番かなしいはずのアナが、一番明るい声を出しているのです]
お兄ちゃん……ホラントが、森に?
どういう事じゃ……ホラントは……
[今は小さな欠片になって、あの棺の中にいるのです。
それを認めようとしない女の子は、まるで――]
……可哀想に。
[おじいさんは誰にも聞こえない声で、そっと呟くのでした]
[ランタンが壊されてしまって、
ホラントが食べられてしまった。
そう木こりが返すことはありませんでした。]
…おう。
[ただ一言そう言ったけど、返事は雷鳴がかき消します。
そうして離れた位置からは棺の前の会話は聞こえません。]
誰も信じられなくなったから…
[羊飼いは、老人の言葉を鸚鵡返しに呟きました]
でも、誰を信じればいいんだろう?
[深い溜め息をついたあと、羊飼いはアナの言葉を聞きました]
ああ、そうだな、ホラントはきっとアナの傍に居るに違いないよ。
[また羊飼いは、ぽろぽろと涙をこぼしました。実のところ、あんまり泣きすぎて、少女の表情も良くは見えていないのでした]
うん。
いなくなっちゃったから、きっと、森にいると思うの。
牧師さま、どうして、森はだめなの?
お兄ちゃんをなくしたものが、いるから?
〔メルセデスの質問には答えずに、アナは反対に、質問をする。〕
誰かを疑うことで、村が滅びてしまう……。
[ご隠居の言葉が、牧師の胸に沁み入ります]
私たちがホラントさんの言葉をもっと真剣に聞いていれば、
こんなことには、ならなかったかもしれません。
アナさんを同じ目に合わせるわけにはいきません。
[牧師は棺と少女に頭を垂れます]
誰かと一緒にいた方が、安全です。
森は暗くて、闇が潜む場所。獣たちのテリトリー。
光は闇に押しつぶされて、消えてしまうのです。
神様の手も、あの森には届きません。
[牧師は少女を説得しようとします]
アルベリヒさん。
お兄ちゃんは、アナのそばにはいないの。
アナが森で眠っているときには、そばにいてくれたけれど。
起きたら、もう、行くって、言っていたから。
〔首を振って、アナはアルベリヒのことばを否定する。
わかるでしょう?って、二匹の羊にも聞いたけれど、彼らには分かるものなんだろうか。〕
そうだな。
あまり、このことは触れ回らないほうがいいだろう。
少なくとも、本当に信頼できる人以外には。
[旅人は小さな声で言いました。
その後のことばにうなずいたところで、ぽつり、空から落ちるものがあります。]
雨か。
[旅人は空を見上げました。
あんなに青かった空は、いつの間にか真っ黒な雲に覆われていました。]
……そりゃあ、わしの決められることではないのう。
心の目と耳で、ようく相手を見詰めるのじゃよ。
[アルベリヒの言葉にはそんな風に答えて。メルセデスの方へと向き直ります]
うむ……ホラントは、森で襲われたのじゃったか。
何故あんな場所へ行ったのか?
わしらが余りに疑うもんじゃから、証拠でも探しに行ったのかのう。
ああ、もっと早く気付いていれば……。
[誰を信じればいいんだろう
そう羊飼いがつぶやく声が聞こえます]
……結局は、自分の信じたい人を
信じるしかないのでしょうね。
[牧師の視線は自然と、葬列から少し離れた場所へ。
雨に濡れた木こりの姿を捉えたのでした]
ああ、ああ、そうなのかい?
そうか、ホラントはもう行ってしまったのか。
それなら、やっぱり一人でいるのは危ないよ、アナ。牧師さんの言うとおり、宿か教会に泊まったほうが…そうだ、おいらのとこに来てもいい。
何か怖いものが来ても羊達が騒いで報せてくれるからね。
[アナの言葉の意味はやっぱり羊飼いには良く判りませんでしたが、牧師さんの心配は尤もだと思ったので、そんな風に提案をしてみました]
[おじいさんが気付いた時には、もうホラントはいなくなっていました。
代わりに素敵なご馳走があったので、おじいさんはありがたく頂きました]
牧師さま。
闇の中に、見える光も、あるんです。
神さまの光とは、違うものだけれど。
〔そう言いはしたものの、牧師の真剣な様子に、アナはそれ以上言うのをやめたみたいだった。でも、首を傾げて、少し、悲しそうな顔。〕
牧師さまは、お兄ちゃんの話、きちんと聞いてはいなかったのね。
……本当に、信頼できる人。そうですわね。
[とはいえ、今はそれを見定めるのも難しいのです。
昨夜、蛍が気まぐれにじゃれつきに行った羊と、その主は、大丈夫とわかってはいるのですけれど。]
……あら、本当に。
[それから、空を見て小さく呟きました。]
ここにいると、濡れてしまいますね。
わたくし、教会に戻りますわ。
……お話、聞いてくださって、ありがとうございます。
[丁寧なお辞儀を一つして、歩き出そうとするのですけれど。
ふと、思った事があって、改めてルイを見つめます。]
あの……一つ、お聞きしてもよろしくて?
[気丈に振る舞うアナを見てゼルマは少し元気を取り戻していました。
ベリエスにもう大丈夫とマフラーを返し、身体に力を入れて棺を見送ります。]
人に化ける獣を探そうって気持ちは分かるけど、今はホラントを送るんじゃないのかい。
[不意に近くに居たのに列に入ってこないドミニクに声を掛けました。
いつにも増してぶっきらぼうな木こりですが、視線鋭く村の者を一人一人観察しているようにも見えてさきほどから小競り合いになっていました。
このタイミングでいざこざを起こさせてはいけないと思い、列に入れてしまおうと声をかけたのでした。
牧師さまも同じようなことを考えてか、こちらを見て気にしていましたので、気を利かせたつもりだったのです。]
〔宿や教会、それに羊飼いのところ。
どうやら、アナの行き先はたくさんあるみたい。
考えごとをするように、アナは、指を唇に当てる。〕
ありがとう、アルベリヒさん。
それなら、アナ、アルベリヒさんのところがいいです。
エリーやフリー、それに、みんなとも、いられるもの。
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