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―回想―
[ 不意に青年の視線が一種幻想的な旋律を織り成す少女から現実へと続く扉へと移される。其の瞳が僅か震え何処か惑うかの如く揺らぎを持てば、碧の少女は其の様子に気付いたかモノクロームの鍵盤から顔を上げ色彩の在る世界を視界に収め、如何かしたのかと問い掛け来て、]
……ん、いや……一寸、外がな。
[下手な誤魔化しは今の彼女には拙いと感じたか、若干躊躇いつつも素直に返す。]
少し様子、見に行って来る。
[ 然う告げれば少女は演奏の手を止め自分も向かうと言い出すのに、明確に拒否する理由も浮かばずに――或いは置いていく方が危険だと判断したか――逡巡の後に頷けば途切れた音色は緩緩として夜闇に溶け込んでいく。]
[ 薄暗い室内の上に青年の位置からはピアノに隠れ見えなかったが、立ち上がったメイの纏う衣類の異なりを見留めハーヴェイは黒曜石を緩やかに瞬かせる。]
お前、其の服……?
[ 問うような声に相手は何と答えただろうか、唯其れには曖昧に返事をして、恐らくは似合うとでも云ったかもしれない。其れは何時かと同じ様に、然れど若干のぎこちなさを持って。然し其れも直ぐに普段の笑みへと変わっただろう。]
[ 男の声は聞えたか聞えるまいか、然れど独り言の様に聲は零れる。]
人にも獣にも成り切れぬ存在、か。
人の心を有しながら獣の力をも宿す――神とやらは、何を思って創ったのだかな。
[ 自らをも嘲るかの如き嗤い。]
[ 二人が其処――やや離れた場所ではあるが――に辿り着いた時には丁度、嘗て少年であった躯が刃を振るう男へと抛られた瞬間で。妙に緩やかに其の光景は刻は流れ、然し何が在ったか認識し切れずに、幾度かの瞬きの後には、倒れ伏した青髪の男の胸からは緋色が零れ仄甘い馨りが青年の鼻腔を擽るか。
薄い口唇が笑みを象りかけるも其れも一時で、ハッと気付いたように傍らの少女を見遣る。然れど、
「――どうか、した?」
向けられた視線にもメイは至極普通の、否、此の場においては却って異常な様相で緩慢に首を傾ける。驚いてはいるものの、其処に昨晩迄の動揺は見られない。次第に降り積もる、疑念。其れでいて、此れ以上触れては脆くも崩れ去ってしまいそうな、……或いは既に。]
[ 軈て少年の躯も死を間近にした男も睡りの地へと運ばれ、二人の少女も其の場を立ち去り、館内は何事も無かったかの如くに静寂が訪れる。異なるのは其の場に残る僅かな香りと緋色の痕か。
少女の薄紫は茫洋として其れを眺めていたろうか、声を掛ければ現実から薄布一枚隔てた世界に居るかの如き遠さを感じさせながらも、矢張り平然としてもう夜も遅いからと云って部屋へと戻っていく。死者の姿を視、声を聴いたとて、現在の彼女の様相は変わらないのかもしれない。
然うして後に残されるのは、青年一人で。]
……何、なんだよ……?
[ 妙な喪失感と苛立ちに近い、人としての感情。拳を固く握り唇を噛み締める。
然れど獣の時間は訪れれば其の黒曜石の双眸には冷艶なる月の光が宿り、*生を求めて駆けるのだろう。*]
[問い掛けられれば、にこりと微笑み――]
えぇ、ウェンディと申しますわ?
お兄さん――?
それとも――…?
[くすり――]
[零れた笑みは意味深な言葉を含みながら――]
きっと其の事にも何某かの意味は在るのさ。
ハーヴェイ=ローウェル。
[その呟きは彼の黒曜石の眸の青年には聞こえないが]
生まれながらに獣である獣。
人として育ち、人の心もつ獣。
人を捨て、獣へと堕ちることを望む者。
人でも獣でもなく、そのいずれにも入れぬもの。
[ただ、詠うように低い声は朗々と。]
未だ名前を名乗って居なかった。
他の人からもう聞いて知って居るかも知れないが、
俺の名はギルバート。
[淡々と][唇には刷毛で掃いた様な]
[薄い笑みを浮かべ]
ギルバートさん…ね。初めて聞きましたわ、貴方のお名前。
もっとも――
[彼の手に握らされた花びらを見て、少女は薄く微笑み――]
私には貴方の名前を知る必要なんて、無いんでしょうけども――
[ころころと笑い声は木霊して――]
[不思議そうに花を見つめるギルバートには]
その花は、今の私の心そのものです。
意味は――猜疑…
[ゆっくりと花弁に視線を注ぎながら…]
猜疑――
[ゆっくりと意味を噛み締める様に呟き]
つまり君は疑っているんだな?
其の罪状は何?
ローズマリーを殺した人狼だと思っているのか?
俺は記憶を無くしていたから、この館が如何いう状況なのか、君達が何者なのか、殆ど解かっていない。
この館の主が死んで人狼審問が始まった、と言う事だけしか。
[返ってきた言葉に、少女はすっと目を細め――]
簡単に言えばそうですわね…。
誰も疑いたくないという綺麗事は言っている暇がなくなりましたので…。
でも――
あなたの事は人狼とは…何故か思えないんですよね…。
何故なら…あなたは――
人として身を隠す人狼ならあまりにも…未熟すぎたから…
[ふっと緩めた口元から――]
[淡い微笑を零して――]
一つあなたに聞きたいことがあるんです。確かめたいというか――
あなたは…人の血液で――
飢えが満たされますか?
記憶が――…?
では尚更…人狼とは思えないのは何故でしょうね…。
[苦笑を漏らして――]
私はただの旅人ですよ…。この屋敷の主に用が有って立ち寄った――
付け加えるとしたら…二年前に今と同じような惨劇を体験しているということだけでしょうか?
[ふわり――]
[少女の金糸が揺れる――]
然う言えばあの異端審問官は如何した?
今日は一緒じゃあないのか。
彼奴も俺を疑っているのなら、良くもまあ一人で出歩くのを許したものだ。
黙って来たのか?
[ギルバートの表情に、少女は動じることなく――]
食事…だからですよ…。
私達人間が、家畜の肉を食べ食物で腹を満たすように――
人狼は――人間の血液で飢えが満ちると…
以前聞いたことがあるんです…。
人狼その者の人に――
[微笑みを浮かべて――]
[「二年前に今と同じような」と言う言葉に]
[ニッと][唇を歪め]
[自嘲じみた苦笑][微かな好奇の色]
……其れは奇遇だな。
俺も一度人狼審問を経験したよ。
尤も、極最近だが。
[異端審問官の行方を尋ねられれば――]
[さらり――]
[少女は金糸を揺るがして――]
ギルバートさん、その質問は愚問というものですよ?
あなたは人狼では無い――
少なくても…
神父様を喰らった人狼な筈は無いですわ――
[ころころと笑う声は、弾むように宙を舞う――]
[金の髪の少女と金の髪の男。
二人を見つめて笑うは獣。
人の血肉により我等の飢えは満たされる?
それは正解でも誤りでもなく。
血肉と共に喰らうは心。
故に屍肉では満たされぬ。]
[ギルバートの口調に、明らかに不快を覚えながら――]
あなたが人であるなら。
人狼審問を経験しているなら…
何故――
神父様の死を軽んじるような態度を…?
[軽やかな楽の音の様な][[笑いを止めた]
[少女に][面白くも無さそうな顔で]
ある村に人狼が潜んでいると言う噂が立って、異端審問官がやってきた。
其の日から全てが変わって、地獄が始まった。
人狼が襲って喰ったのと同じ位、無実の人が幾人も同じ人間の手で殺されたよ。
安全の為に、人狼を見つける為にと。
何の罪も無い子供でさえも、疑いを掛けられて処刑されて。
だから…?
だから…神父様の死も…嘲られると?
――何も知らないのに…
異端審問官の心情なんて何も知らないくせにっ……!
ギルバートさんのところに来た異端審問官がどういう人かは私は知らないわ…。
でもっ…――
神父様は苦しんでいた…。
父も…苦しんでいたわ…。
罪の無い人を殺す苦しみなんて解らないくせに……。
人は皆…勝手なことばかり言って……
[搾り出すような言葉と共に――]
[少女の瞳から零れ落ちるのは。一筋の涙――]
殺した人狼の何倍もの数の人間を殺して生きてきたから…何?
あなたはその騒ぎで…何かしたの…?
少しでも審問官の苦痛を軽減するような事をしてきたの?
一人でも犠牲者を出さないように…皆で団結するような動きを…してきたの?
[悲しみに濡れた瞳は――何処か虚ろ気にギルバートを見つめて――]
[投げ掛ける言葉は…淡々と――]
苦しんでいたから──か……
苦しんでいたら、許されるのか。
同じ人間が人間を殺す事を。
其れで罪が消えるのか。
消えはしない。決して。
[決然と]
[涙を零す少女にも][同情を示す事無く]
[ぼんやりと、何も映さぬ瞳を遺体(からだ)へと向けたまま。
耳に響くは、白銀の獣の声。
詠うように朗々と響くその音は、遠いのか近いのか。]
……
[緩慢に面を上げて、一つ瞬けば。ゆらり、意識も揺れて。混濁]
何をしたか?
[クッと喉を鳴らし]
[自嘲][嫌悪][悔恨]
[琥珀の眸に瞋恚の炎を宿して]
──俺は愛するひとを信じられずに、裏切って生き延びた。
別に私はあなたに神父様の事を赦して欲しいなんて思ってもいない。
私は神父様を、父を――赦すと思っているだけ――
それにね、ギルバートさん。私は神を捨てた人間なの。
罪がどうとかという話は…、私には関係ないことなの。
そんな話は…熱心な信者に任せておけばいいだけの事。
[涙を拭い、少女はふっと溜め息を吐いて――]
…人狼とは…解り合えない。
だから――私は『彼ら』を殺したいと思うだけ――
ただ――
あなたが同じ『人間』なら――
助けを求めたかった…。
私一人では…あまりにも無力だから――
[と、そこまで言うと自嘲的に微笑を漏らして――]
でも、あなたとは分かり合えなかったみたい…
解かり合えないから、殺す。
信じられないから、殺す。
憎んでいるから、殺す。
愛しているから、殺す。
愛しても憎んでいなくても、殺す。
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