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[差し出されたユーリーの手に、小さな手を重ねた。
立ち上がるのを助けてもらって僅かに息をつく。
怪我のことを聞かれて、ようやく傷を意識した]
――うん、ちょっと痛いぐらい、だから。
[なんだかんだありすぎて、一度家に帰ったときに軽く傷口を洗っただけだった。
今はかさぶたができているけれど、なにかあればまた直に開きそうではあるけれど、平気だと頷いた。
ロランとレイスがいたほうへともう一度だけ視線を向ける]
[重なるのは華奢に見える娘の手。
カチューシャの応えを聞けば頷きを向けた。
誘うようにもう一度ミハイルへと視線を向ける。
家に明かりを灯し部屋へと案内すると
蜂蜜をいれて少し甘めにしたホットミルクを差し入れて
風呂に湯を用意して、湯浴みが出来る旨を伝えておく。
そうして、戸締りを確認し男は自室へと戻っていった**]
[ミハイルの返事をきいて、ユーリーの家に向かう。
案内されたのは、都会にでていったオリガの部屋。
差し入れのホットミルクに、強張っていた表情を笑みに変えて。
伝えられた言葉にちいさくありがとう、と答えた。
そしてホットミルクを飲んで落ち着き、湯を借りて身奇麗にした後]
[オリガの部屋のオリガのベッドに体を横たえる。
この部屋で、幼馴染の女子三人があつまったことだってあった。
今は、一人きり。
赤い色を流して横たわるキリルの姿が、瞼の裏に浮かんで。
腕で目元を押さえる]
……
[ロランは、無事だろうか。
不安は消えず。
そのまま、眠る事もできずに夜を明かすこととなった**]
―― 自室 ――
[気付けば夜が明けていた。
窓から射し込む陽の光が瞼の裏を染めている。
目許を手で覆い、くぐもる声を漏らした。
暫く経ち、明るさに慣れてくればゆっくりと手を下ろし目を開ける]
……ン。
[二年前ならば妹が起こしにきたであろう時間。
朝早くから元気な妹に対して兄の方は朝に弱い。
その妹の部屋にはカチューシャが泊まっている。
意識がはっきりとすれば身体を起こし手早く身支度を整える]
[机の上に置いたままになっているグラス二つと水晶玉。
男は水晶を手に取りそれを覗いた]
もう触れることはないと思ってたのに
[皮肉なことだと思う。
自分の為そうとしている事を思えば苦さが込み上げた。
確かめようとしたのは、ロラン。
覚悟していた結果に深い息が漏れる]
だから、あの時、……
[キリルを止める手立ての話をしたとき
ロランは如何やって止めるのかと問い返した。
彼もまたそうであったから、男に問うたのだと知る]
[あの時は説得すべき相手は其処に居ないと思っていたから
男はロランにキリルを説得する為の働きかけをしようとしていた]
――…あの時、
僕が如何やって説得するのか、知りたかったのか ?
如何、ロランを止めるのか――…
[問うものの答える者は此処に無い。
困ったような、どこか自嘲的な笑みが漏れた]
―― リビング ――
[とれたての卵と牛乳。
それから貯蔵庫に保存していたチーズと豆、たまねぎにじゃがいも。
男は厨房でレンズ豆のスープと、パンケーキを人数分用意した。
作りなれたものではあるがカチューシャには及ばぬ素朴な味のもの。
パンケーキの横には切り分けたチーズが添えられてある。
起こすのは悪いと思ったのか声は掛けなかった。
自分の分を平らげると、
空になった食器だけ片して家を出る**]
[陽光が村を薄く照らし始める頃、
ロランの姿はキリルとレイスの家の裏にあった。
傍らには黒銀の毛並みを持つ狼が控え、
イヴァンの畑に置いたままの車椅子の代わり。
見下ろしているのは、白い花。
可憐に花開いた、その夢のような香り纏う花]
…本当に、いい香りだね。
[呟くと、ひとつの花を土から掘り返す。
あの時、あの山で、そうしたように。
根ごと革で出来た袋に入れると、鞄に入れた。
そして狼の背にしがみつくと、獣は力強く地を蹴り。
いくらかの獣の毛と土踏む足跡を残して、
黒い大きな影は森の中、川の方へと消えた**]
……ん、
[彼は兄を喰らうのだという。
こわくない、と。密やかな声に呟き返して瞑目した。
───紅い月が、同胞の目が紅く染め上げている]
兄貴、……ごめんね。
ボク…は、
[止めない。止められない。
兄は呆然と立ち尽くして見えた。そうだろう。
目の前で自分は死んでしまった。
憎むなら、と兄は言った。殺されてもいいと言った。
勘違いだったと言った。
ならばあの行為はきっと、
───…自分を守るためだったのだろう]
[あれがなくとも、いつか恋人は死んだだろう。
兄もきっと死んだだろう。
自分が殺した。いつか殺したに違いない。
この牙にかけ、その血肉を啜ったに相違ない。
彼らを殺したのは自分。
大切な人たちを苦しめたのも自分]
────…。
[言葉なく、その光景を見守る。
目を逸らさずにすべて見た。
兄の首にナイフが振り下ろされるのも見た]
……、…
[ごめんね。と、唇だけで形をつくる。
向けたは喰らわれる兄へか、涙止まらぬ同胞へか。
自らにも判然とはしない。どちらへも、であった]
[さわりさわりと花が静かに揺れている。
花々に抱きしめられたような気がした。
そんな資格ないはずなのに、
優しく慰められたような気がした。
───大好きな、イヴァンの微笑みを見るようだった]
[目を閉じる。
じわりと眦に涙浮かぶ心地がした。
ただ一人の同胞、
寂しい彼の元へも温もりが届けば良いと思う。
…その腕に、触れられれば良いのにと願う]
― ユーリーの家 ―
[夜が白々と明けるまで、幼馴染との思い出を思い返してる。
日の光が窓から差し込んできた頃、家の中で動く物音がする。
けれど、起きて行く事はしなかった。
一睡も出来なかった顔は酷い事になっている]
――……キリル……
[目を閉じて居れば、兄やイヴァン、キリルの姿が脳裏に浮かび。
嘆くロランと、妹をなくしたレイスの姿も浮かんだ。
思考はまとまる事もなくちぢに乱れて。
ミハイルが泊まっていたのなら、その物音も聞こえなくなった頃、ようやく起き上がった]
――会いに、行かなくちゃ。
[レイスか、ロランか。
どちらかが息断えた姿で見つけられるだろうことは解っている。
それでも、どちらにも生きた姿で会えれば良いと願っていた]
[ユーリーが用意した食事は、食欲がなかったから、レンズ豆のスープだけいただいた。
日常を思い起こさせる素朴な味に、ほんのすこし目元を和ませ。
食卓の上を綺麗に片付けてから家を出た]
[花が揺れる。
揺れながら低く詩のない唄を歌う]
[肉体から溶け出した何かが、懐かしい何かに触れた気がした]
『キリル』『キリル』
[花が歌う。弾んで歌う。
まるで祭りの篝火で、青年が恋人の姿を見つけてぴょんとかけよるみたいに]
[幸せだった。
あっという間に壊れていった]
[殺された。
そりゃまあ痛かったし嫌だったし訳が分からなかった]
[日常を愛してた。愛してた相手の裏面まで見切れてなかった。未練はきっと数え切れないほど]
『……………』
[あぁ、まぁしょうがないか。
花はさらさらわらう。きっと紅い血と一緒に何かそういうものは手放してしまった気がした]
[まるであの紅花が黄色い染料を水に溶かしきってしまうみたいに]
[キリルの家に泊まったときに使う予定だったものは、ユーリーの家での着替えになった。
黒ではないけれど、深い茶色のワンピースを選んだのは、兄の死を悼むためであったのに、今ではイヴァンやキリル、イライダを悼むためのものだ。
イライダの死は、昨日、ユーリーの家に落ち着いてから、ユーリーからか、またはミハイルから聞いていた]
[花が揺れる。畑から畑へ]
[そういえば、少し前にイライダの感触に触れたなと思った。
ふらふらさらさら揺れる。
風に任せていれば、旧友の魂にもふれられる気がした]
『ごめんな』
『シーマ。ごめん』
[謝る。何に対して?
彼の恐れを共有できなかったことに対して。
彼の仇を愛していることに対して。
幸せになれなかったことに対して。
醜さを隠していたことに対して]
[シーマに馬ァ鹿と後頭部を叩かれたような気がした]
[やがて何より愛しい恋人の気配や、自分を殺したその兄の気配も増えるんだろう]
『……………』
[花はゆっくり揺れている**]
― ロランの家 ―
[先に家を出たユーリーやミハイルの姿はあっただろうか。
レイスの死を彼らが先に発見していたらきっと中に入るのは止められるだろう。
けれど、制止を振り切って飛び込んだ。
――その、凄惨な光景に、足が止まった]
…… れ、いす さん……?
[酷い遺体をみたのはイヴァンが殺されるのを目撃したときぐらい。
人狼に襲われた後がどうなるのか、初めて目にして。
そのあまりの酷さに顔から血の気が引いて、その場に座り込んだ]
[家を出てまっすぐロランの家に向かった。
次第に濃度を増す鉄錆の匂いに柳眉を寄せ窓から作業場を覗いた。
作業机の上に寝かされた男が誰であるかは直ぐに知れる。
夥しい血と獣の足跡――]
レイス、……
[人狼に襲われたレイスは人間と知れる。
犠牲者であるが彼は幼馴染であるイヴァンの命を奪った相手]
キミには生きて、償って欲しかった。
イヴァンがキミに奪われた時間を、生きて――…
[会ってそれを伝える心算であった。
けれどそれは間に合わず獣に襲われた仲間の亡骸があるだけ。
ゆる、と首を振り、男はロランの姿がない事を確かめてから
其処を後にした。
ややしてカチューシャが其処を訪れるが男は知らぬままロランを捜す]
――川辺――
[川辺の小屋。
マクシームの棺の横に並ぶイヴァンの屍体を見下ろす。
脇に屈んで、その手を取った。
冷たく、硬くなった土気色。
持ちあげるのに少し力がいったから、身を屈めて口に含む。
ガリ、と音。
先を千切り、口に入れて飲み込んだ]
…あとは、――キリル。
[小さく呟くと、黒銀の毛並み持つ狼の首へと腕を回す。
狼の力強い跳躍を持って、またその姿は森へと消えた]
[僕の目には何故か、はっきりと見えた。
黒い風の正体。沢山の獣たちの群れ。
恐怖は感じなかった。ただ酷く疲れていた。
抵抗の為の体力は、歩き回った事と流した涙に奪われて。
逃げる気力は、人を殺し妹を亡くして失って。
疲れていた。だからもう、如何でも良かった。
呆と、迫ってくる彼らを見つめた。
はっきりした記憶は、それが最期。
誰かが泣いているような気もしたけれど、それが誰かは分からないまま、
僕はあっさりと、生を手放した。]
[血の匂いのすさまじいこと。
口元を抑えて視線をそらした先。
小さな机の上に置かれたものが視界に入る]
――あれ、は……
[よろりと、壁にすがって立ち上がり、近づく。
置かれていたのは、リボンがかかった鹿革の水筒と、しっかりした作りのベルト。
――ロランが、作ってくれると言っていた、ものだった]
……どう、して……どうして、ロランとキリルが……
[幼馴染の二人。
その二人が行ったことを思い。
けれど、変わらぬ優しさを感じた事も思い出して、ぼろぼろと涙がこぼれた]
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