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─ 昨夜 ─
…。兄貴、心配かけてごめん。
[案ずる色を乗せて、低く静かに響く声>>24
何と言っていいか分からなかったから、こたえは返せなかった。
笑顔の苦手な兄だ。
いつだか、作り笑いが怖いと言われてより一層笑わなくなった。
けれどボクは知っている。兄はとても優しい人だった。
両親を亡くしてからは、兄妹二人で生きてきた。
その頃から、うちの庭には薬草が増えていった。
メーフィエを亡くしたあとの、兄の様子を今も覚えてる。
酷く悔やんだようだった。
───あなたのせいじゃない、と。
イライダとの遣り取りは知らないけれど、
ひどく、悔いていたことを聞かずともボクは知っている]
─ 自宅 ─
[その知らせを受けた時、ボクは朝食の支度をしていた。
朝の遅い兄貴は、まだ寝ていたろうか]
んー…、今度はレパートリーかな。
サンドイッチのコツを聞こっかな……
[カチューシャのサンドイッチは絶品だ。
思案しながら、二人分の皿を並べていく]
────…、え?
[ガタリ。と、音がした。
よろめいた自分が立てた音だと、あとから気付いた]
マクシーム、お にいさん が…?
[まさかと問い返す、口の中がからからになる。
こくりと唾を飲んで、その知らせの中に嘘を探った。
嘘のはずがなかった。冗談のタチが悪すぎる]
……兄貴 …っ
あにき、マクシームが、マクシームのにいさんが、
[家の中に、兄を呼ぶ。
身体が一気に冷える心地がして、カタカタと震えた]
…ううん、ううん。
だって獣なんでしょう?そうでしょう?
やだ…ボクも確かめる。だって……、カチューシャが、
カチューシャの、代わりにも、
[行かなくては。と、止められても言い張った。
広場へと赴く。───白い敷布を染める、夥しい赤を見た]
…っ……!
[その光景に、思わず口を覆う。咽るような濃い血の匂い。
がくがくと震える身体を、自ら抱くように強く掴んだ。
それでも震えは止まらずに、地面が揺れているような心地すらする]
こんな…、本当に……?
[独り言のように呟く、それへ返る声はあっただろうか。
あるにせよ、縫い止められたように広がる血の赤から目が離せない]
[随分と長い間俯いていたから、空が瑠璃色に白み始めていたの気づかなかった。
人の気配に顔を向ける。取り乱す事は無い。
噛み締めたくちびるだけが、心情を語るよう]
…出来る事、ある…?
[ユーリーが死体を動かすと言うのには、小さく告げるが。
自分ができることなんて無いだろう事は知っていた]
[幼馴染の存在に気付けたのは、車椅子が高く鳴ったから。
キイと高く鳴いた車椅子の音に、
漸く赤く染まった敷布から視線を引き剥がす]
……ロラン、
[名を呼ぶだけが精一杯。
傍らへ寄り、支えを求めて車椅子へと震える手を伸ばす。
堪えきれずに顔を伏せた。髪が顔を隠してくれる。
視界が遮られるのが、ありがたかった]
―― 広場 ――
[キリルの呟きに男は一度目を伏せる]
残念ながら――…
[本当、という言葉への返し。
ロランの尋ねには少しだけ表情を緩めた]
ありがとう、ロラン。
キリルの傍に……
[言い掛けて、チラとイヴァンを見遣る。
暫し考えるような間をおいて]
嗚呼、カチューシャの見舞いをお願い出来るかな。
後でくるとは言っていたけど――…
キミやキリルが一緒の方が安心できるだろう。
……っ、ロラン…
[ひくりと喉が鳴った。
啜り上げるようにした声は、涙声のようになる。
堪えようと、ボクはぎゅっと唇を噛み締めた。
幼馴染の手が、優しく髪に添えられる。
昨日イライダが飾ってくれた白い小花のピンは、
今朝は髪に咲いていない]
辛い、ね。
[キリルの髪をそっと撫でるのは、数度だけ。
ユーリーの言葉に視線を向け、小さく、頷いた]
…ん。
キリルも、行く?
[カチューシャの姿はここには見えず。
お見舞いというからには家だろうと、そちらをチラと見た]
カチューシャ…、
カチューシャも、もう、知っているの。
[ユーリーの声に、顔を上げないまま呟いた。
車椅子を掴む手に、きゅっと力が篭もる。
より深く視線が落ちた]
……カチューシャ…、
[やはり、兄と妹のふたりきょうだい。
彼女は今、一人きりでどうしているのだろう]
…───、うん。
[顔を伏せたまま、こくりと頷いた。
一度伏せた顔を、再び上げるのが怖い。
顔を上げればきっと、また広がる赤を見てしまうはずだった]
一緒に行きたい。
[震える声で告げる]
[ロランの視線がカチューシャの家へと向くのに気付く]
――…多分、部屋に居ると思う。
調子が悪そうだったから運んだんだ。
[扉の鍵は無論かけられずにいたから
あいているだろうこともポツと告げて]
きょうだい、だからね。
真っ先に、知らせたんだ。
[キリルの呟きに、肯定の言葉を向ける]
― 自宅 ―
[しばらくの間、涙が流れるままに嘆き。
とりあえずというように涙が止まって、ボーっとしている。
それからのろのろとした動きで泣き濡れた顔を顔を洗い。
夜着からベージュのワンピースに着替えた。
クローゼットの中には、黒い服もある。
でも、まだそれには手を通す気にはならなくて。
せめて兄の死を見てからにしようと思った]
…ん。
ありがと…
[キリルの言葉に小さく頷き、ユーリーに礼を置く。
車椅子を動かしたいと車輪に手を掛けて幼馴染を見遣り、
体重退けられればカチューシャの―マクシームのでもある家へ体を向け。
ふと、その前にユーリーの脇に一度近寄った。
そっと伸ばす手は彼の腕に、避けられなければ触れて]
…ありがと。
[小さく、もう一度礼を重ねる]
――…いや。
ミハイルがみつけて、知らせてくれた。
一緒に火の番をしていたらしい。
[その光景はみていないから伝聞の形になった。
男はマクシームの方を見ながらキリルに答える]
[腕に触れるは人のぬくもり。
視線を下げればロランの姿が見える]
――…いや。
二人のこと、宜しく頼む。
[感謝の言葉に目許を和ませて
頼りにしているという言葉の代わり
小さく、そう告げた]
そ、なんだ……
……うん。
[広場で彼らが、火の番をしてくれていたことは知っている。
ユーリーの言葉にこくと頷いて、幼馴染の視線にも頷いた。
支えを失って堪えきれず、自らの腕を掴む。
車椅子が動きに従い、キイと高い音を立てた]
……っ、
[唇を噛み締める。
顔を上げないまま、マクシームの遺骸に頭を下げた。
黙祷での祈りを捧げて、ロランの車椅子へと目を向ける]
―― ちょっと前 現場/朝 ――
[呼びに来てもらったユーリーとロランの姿。
目に入らないように旧友の死を悼んで泣いた]
ごめん、シーマ
……ごめん
[謝り続ける。ユーリーから謝罪の意味を問われて]
シーマ
俺が………俺は
[確かに自分が下手人ではない。
だが、どうしたって責任は感じてしまう。
あの遺体を白日のもとにさらさなければ。いや、狼対策を真面目にやっていた友人と歩調を合わせていれば。人狼に効くかは知らないが、獣避けの香料などは持っていた。だが効果なものだ、獣害が本格的になる冬場に向けて無駄遣いはしたくなかったから出さなかった。篝火の設営にも必要最低限しか協力しなかった]
[けれどそれを言ったところで何になるだろう。
友人をもっと苦しめるだけだから、そこで言葉を止めた。周囲からどう聞こえるか、どう見えるか、それにかかずらってはいられない]
…ん。
[ユーリーの言葉に、少し和らげた目元は赤い。
濡れた睫毛が瞬いて、小さく、判ったとの意を告げる。
キリルの言葉に、ゆるく振りむいて、また、頷き]
――お願い、できると嬉しい。
[車輪から手を離した]
―― 少し前 ――
[イヴァンから謝る理由は聞けなかった。
幼馴染の潔白を知る男は困ったような表情を浮かべる]
シーマの死はお前だけのせいじゃない。
僕だって、あいつについててやらなかった。
[男もまた後悔していた。
吐息まじりの言葉を吐き出し、
薄いくちびるを噛み締めて口を噤んだ]
…ありがと。
[幼馴染に小さく、礼を言う。
車椅子の押し手に震える手を添えた。
掴まるものが何かある、それだけでもまるで違う。
一度鼻を啜ってから、車椅子を押す。
がたりと押せば、車輪がまた高く軋んだ]
[台所のテーブルの上には、濡れふきんをかぶせておいたサンドイッチがそのまま残っている。
兄の部屋も昨日のまま。
―― 一人きりでいる家は、がらんとしている]
……っ
[ぎゅ、と手を握り締めて感情を抑えた]
[ユーリーの腕から離れる手は名残惜しげに空を泳ぐ。
車椅子を押してもらい、カチューシャの家へと向かう。
背後に歩く幼馴染の手が震えて居る気がして、
そっと、自身の肩の上から伸ばした手を、彼女の手に重ねようとした]
…カチューシャ、いる…?
[家の外から紡ぐ声は、小さく。
届くかは判らないけれど、かけずにはいられなかった]
[狭い村のこと、広場からの距離はさしてない。
がたりごとりと車椅子を押し、向かう先はカチューシャの家]
……なんて言おう…。
[途中、ぽつと問う風でもなく呟いた。
さらりと向かい風が吹いて、血の匂いをさらっていく。
ボクは漸く顔を上げて行く手を見た。
カチューシャの家が目に入り、また少し顔が歪んだ]
―― 少し前 ――
[ユーリーに首を振る。
確かに後悔しているのは自分だけじゃないだろう]
ありがとう
[それでもしばらく気分は自責から離れそうにない。
どこかに遺体を運ぶと彼が言うのを聞けば]
棺になりそうなものを探してくる。
このまま外には置けないだろう。
木の下でなく、どこか室内がいい。
[そういって、ふらりとその場を離れていく。
それはキリルがやってくる少し前のこと]
『 そんなにきつく握ったら
手に爪あとが残ってしまう。 』
[優しい声を思い出して、握り締めていた手から力が抜ける。
悲しげな吐息を零して、誰も食べる人が居ないサンドイッチから視線をそらした。
幼馴染二人がむかってきていることは知らなかったけれど。
気持ちを落ち着けるためにお茶をいれようとして]
――?
[名前を呼ばれた気がして首をかしげた。
扉のほうへと視線を向けたときに薬缶が甲高い音を立てて、起きていることを扉の向こうへと知らせた]
[カチューシャの家の中から、音がしたから眠っているわけではない事が判る。
ドアノブを開けてほしい、と、目だけでキリルへ向けた。
キィ、と高いいつもの音が、誰がを報せてくれるだろう]
…お邪魔、するよ?
[扉を開けてもらえれば、小さく置く言葉]
―― 村はずれ ――
[この村には樵はいない。
ただ、薪炭材用やその他の目的に使うために時折森から木を切り出していたし、先日の旅人を弔うためにいくつか板を用意していた]
……………
[時折手や動きを止めながら、それでも体を動かしていたほうがマシだった。村外れの材木置き場で、友人を弔う支度を淡々と行っていた]
[歯を食いしばり、目元を袖で拭いながら]
[棺になるものを探しにいった幼馴染。
置いておくのはカチューシャがお別れを言えるまで、と
思っていたが其れを言いそびれてしまう]
使われてない小屋、何処かにあったかな。
[屋内が、という幼馴染の言葉を思い出し
ぽつりと呟く。
そうしてマクシームの方を見遣り]
なぁ、シーマ。
家に帰りたい、か?
僕は――…、カチューシャに死の匂いを近づけたくない。
[血の匂いにひかれるものもいるかもしれない。
思案げな様子で呟いて]
それにキミも、――…
[静かに眠りたいだろう、とくちびるのみで紡ぎ目を細めた]
[火を止めれば、薬缶が静かになる。
扉の向こうから、聞きなれた轢む音が聞こえて]
ロランー?
わっ、キリル……
も……もしかして、心配してきてくれた……?
[視線を向けた先、開いた扉からロランの姿が先ず見えて。
キリルが駆け寄ってきて抱きしめられるのに瞳を瞬かせる。
顔を洗ったとはいえ、泣きはらした瞼と赤い瞳はごまかしようがない。
小さな村だから、とっくに知っているだろう二人に、ぎゅ、とキリルを抱きしめ返してちいさくありがとうと告げた]
[キリルがカチューシャに駆け寄って抱き締めるのを見る。
キィ、と車椅子を進め、一歩だけ離れた位置まで進む。
手を伸ばせば、指先だけが届く位置。
烏色に映すのはどちらをでもなく、ふたりとも共に]
…ん。
[きゅ、と、手を握る。
ふわふわと揺れる髪にさらりと別の色が重なるのを
じっと、それだけ言って見守った]
─自宅─
[その日の朝は、いつもより早く活動を始めた。
昨夜の妹の声を聞くことはなく、未だ何を話していいか分からないまま、作業場で昨日しそびれた薬の整理をしていた。
引き出しを閉じ、鍵を掛けた――滅多に開けない隣の引き出しに、何気なく目を遣った。
その時誰かの来訪を告げる音がして。
それから程なく、妹が僕を呼んだ。マクシームの名と共に。]
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