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[受け取った瞬間、片側の眼に微か、相手が映る。
知っている女性の姿、それから、知らない少女の姿]
――……………、
[無言の侭に、左の耳にピアスを付けた。
夜明けの後の朝焼けのように、
赤から青へと、左の瞳の色が移り変わる。
顔の半分を覆うように手を当て、外す]
馬鹿か。
失くして惜しいものでもないだろうに。
[軽く、頭の上に手を置いた。
恐れられるかとの思考も、掠めたけれど]
[カウンターより離れ、テーブル席の一つまで近づいた。
隣のテーブルにはブリジット。だが語られる言葉は未だに理解をするには足りないものが多すぎた]
『………』
[人の姿に戻りたい、と思うことは思うのだが。
影響をモロに被った身では全身がだるく、そも己の意思そのもので変化をこなしたことがないのでは、どうしようもなかった]
[手が当てられる前に、瞳の色の移り変わる様に気付いて]
わあ。すごい。
[感嘆の声を漏らす。
頭に手を置かれれば、そこに自分の手を重ねた。
先ほど見えた女性よりも、やや幼さの残る微笑みを浮かべる。]
失くしたら、戻ってこないんだもの。
とっても大切なものばっかり。
[鎖が、じゃら、と音を立てる。]
[引く前に、重ねられた手。
別段、跳ね除ける事もせずに、眼を細めた。
視界は戻り切ってはいないものの、闇は幾分、晴れた]
……だから、お前は勘違いさせる事ばかり言う。
大切じゃなくていい。
本当、
[馬鹿な奴、 呟きは、小さく。
動かした手は、紅い首輪へと触れる
勘違いをしてるのは。そっち。
[悪戯っぽく返す。
姿形は少女だったが、その言い様は――]
[首輪に触れられれば、無意識にだろうか。目を閉じた。]
だから。
[どちらなのか。
問うても、仕方無いのだろうと悟りながら]
……お前の想うような人間じゃない。
[眼を伏せて、鍵穴に、爪を立てた。
金属を掻く感触が、何処か痛い]
[離れた場所から影の世界の二人を見て。
ようやく慣れたか、赤の世界から意識を切り離して。
僅か穏やかな表情になると、再び顔を伏せて*目を閉じた*]
じゃあ、私は誰を想えばいいの。
[うっすらと目を開けて、透明な声で問う。]
ねえ。探偵さん。
[大丈夫? と、小さく声をかけて。]
……俺が、其処まで知るか。
自由になってから考えるといい。
[眼差しから逃れるように、動く]
探偵じゃないよ。
単に、己の意志の侭に動いた、
馬鹿な人間――
それ以上でも、以下でもない。
[頸に嵌められた冷たい鉄に、
薄い口唇で軽く触れ、
指先は僅か喉を掠めてから離れた。
*一歩身を引くと共に、姿は揺らいで、失せた*]
そんなの、ずるい。
私、ちゃんと、想いたい人を想ってるのに。
ずっと先の私も、ずっと後の私も。
[言葉を紡いでいるのは、どちらなのか。]
けれど、そうやって、謎を解いていく。
それが本質なら、その人は――
貴方は、私が憧れた、探偵。
[触れられた首輪は、戒めの冷たさの上に温もりを残し。
触れるか触れないかを掠めた指先、手を伸ばそうとすれば――]
……あ。
[消えた青年に、少女は取り残される。
がらんとした闇の中。
ぺたりと座り込んで、*漆黒の中に溶け消えた。*]
─回想
突如目の前で始まったやり取りについていけずオロオロとしていただけの自分。
恐らくはユーディットがイレーネをハメようとしているのは判ったのだが。
その餌に使った存在がユリアン。
頭のどこかで警鐘が鳴る。
ユーディットがイレーネに使ったブラフの前提が。
アーベルが自分を『視て』人と認定した事。
そのブラフを前提に道を辿った結果として現れたのが「ユリアンが人狼」という架空の餌。
だが。
事実として自分は人間なのだ。
そこは動かない。
ならば、そうであるならば。
次の可能性。
イレーネがユーディットの言うとおり、偽であるとして。彼女はティルを視たと言った。ノーラを視たと言った。エーリッヒを視たと言った。
ティルは…あの様子からして恐らく人であろう。喰われたノーラは当然人だ。エーリッヒはどうか?ここはまだ判らない。判らないが。もしエーリッヒが狼ならばここでのユーディットの行動に対して抑止が無いのは何故か。もしエーリッヒが人ならば、彼女は偽でありながら未だ嘘をつかず村に「見分ける者」が二人居たのと全く同じ状態だったのだとしたら。
[僕は主の傍らに、静かに拝して目覚めを待つ。
次に目が覚めたときに、何がどう変わっていくのか。
内に渦巻くものは、大切な主を失ってしまうかもしれない事への恐怖しかない。]
我等は、盾であり、欺き、殺し、生かすもの…。
[ぽつりと口に呟くのは、口伝の一説。
だが盾になりきれなかった。
脈々と受け継がれてきた一族の血は、主を傷つけさせてしまった自分を激しく攻め立てる。]
ユリアンから告げられた事象。
イレーネが襲われかけた。喰われたのは同じ娼館に居た別の娼婦。イレーネと間違われて襲われた…という。それに対してエーリッヒが突きつけた疑問。
まさしくそれが、人狼がイレーネを疑惑から外す為の準備だったとしたら…。
逆の可能性も勿論ある。
ユーディットが人狼の可能性。
ただ、その場合、今の自分の頭の中で鳴っている警鐘は元より的外れなのだから、それについては問題無い。少なくとも、自分の予想している最悪のシナリオとは違う方向なのだから。
─最悪のシナリオ。
─今、ユーディットが押さえつけたのは。
─餌として罠に使っているつもりの其れは。
─ユリアンこそが正しく人狼なのでは無いか。
凄まじい勢いで頭の中を巡った思考が不意に途切れた。目の前で起こった事柄が引き金として。
飛び交う怒声。鈍い光を放って円を描く刃。
その円を縁取る色は。ああ、あれは血の色だ。
横たわり動かなくなったユーディット。
ティルに襲いかかるユリアンだったモノ。
エーリッヒとユリアンの刹那の対峙。
その全てが自分の座っている席からは魚眼レンズで覗いたドアの向こうの景色のように遠のいていて。
─動く事が出来なかった。
─そうだ、これは御伽話の世界なのだから。
─自分は。ただの人である自分は。
─そこでは傍観者にしかなれないのだから。
─母親の顔が浮かんだ。背で泣くティルの温もりを思い出した。何時だったか、もう随分昔の事のように思える、窓から毀れる月明かりに映ったイレーネの透明な笑みを思い出した。小生意気な口ばかり叩くミリィを思い出した。母を何度も往診してくれたオトフリートを思い出した。村の中で、触れてきた人々の顔が、言葉がフラッシュバックのようにグルグルと回る。
ユーディットが言っていた。
─じゃあ、また今度。
─ティルも一緒に、是非来てください。
─……ちゃんと食べないと元気も出ませんよ?
ああ、そういえば。そんな約束もしたっけか。
─そう。だからこれは。
─御伽噺なんかじゃけして無いのだ。
一連の騒ぎが終わった後も。
椅子に座ったまま動けないでいた。
自警団達が慌しく来て、慌しく去って行った後。
彼はエーリッヒ宅の書斎にふらふらとたどり着き。
固くドアを閉じて、人狼に関する書物を山と積み上げて読み漁り始めた。
─この世界で、自分が立つ位置を決める為に。
─そのために必要な、自分に足りないものを補う為に。
[自室のベッドでふと瞳を開ける]
……足りぬ。
傷を癒すには、血が、肉が、まだまだ足りぬ…!
[ゆらりと上体を起こし、ベッドから降りる。
傍らに控えていたイレーネを見ることなく部屋を出、とある部屋へと入り込む]
………ちっ、時間が経ちすぎたか。
本当に、最期まで役に立たぬ奴だ。
[入った部屋のベッドの傍、そこにしゃがみ込み舌打ちする。
立ち上がると何かを踏み躙ってから、その部屋を後にした。
部屋は床が赤黒く染まっており、ベッドの脇には乾いた紅を身に纏う男性の姿。
それは既に事切れた技師だったもの]
[イレーネの制止も聞かぬまま、工房から外へ出る。
走りながら感覚を研ぎ澄まし、人の集まる場所を探る。
気配を感じた一つの家。
そこは昨日己の邪魔をした忌まわしき人物が住まう場所。
複数の気配を感じると、その一つ、ただ一人である気配がある部屋の窓を見定め。
そこに居るのは家主ではないと察知し、にぃ、と口端を持ち上げると、大きく跳躍し、窓ぶち破った]
[恐らくは書斎にあった人狼関連の全ての書物を読み終えてパタリと本を閉じた、まさにその瞬間だった。突如窓が大きく音を立てて割れ。飛び散った破片と共に部屋に現れたのは・・・]
よぉ。
[口から毀れたのはいつもとかわらぬ挨拶で]
こっちに来たのかよ。ユリアン。
いや、人狼さんよ。
っ、ユリアン!
[主の急な動きに静止が間に合わず。
慌てて後を追ったが、無論狼の後についていくのは難しかった。
それでも行き先は容易に知れて。
もう殆ど人の居ない村を走り出す。
途中で自衛団に見つかりそうになり、かわしながら走ればたどり着くのは随分遅れた。
中には複数人がいる。すぐに中には入れない。
そっと、外から様子を伺う。]
[飛び込んで着地した低い態勢のまま、首を擡げて隻眼を投げかける]
…ああ、おっさんか。
筋張ってそうだがまぁいい。
──……お前の血、肉……俺に寄越せぇ!
[しゃがんだ態勢から鋭角に、床を蹴り出し真っ直ぐハインリヒへと飛び、異形と化した右腕を突き出す]
[ピクリ、と耳が動く。顔を上げて意識を澄ませる]
『…エウリノ』
[近寄るのは危険だと分かっていた。それだけ影響を受けやすくなることも。それでも一度決めたのだからと]
ru.
[現れたのは未だ人の子である少女の近く。その向こうにあるのは、同胞と人の気配]
[飛びかかってはこられたが。不意をつかれたわけでは無く。手近にあった本を一冊引っ張りだして自分と異形の腕の間へとかざす]
…へへっ。そうガツガツすんなって。
仰せのとおり、年寄りなんでな。
肉も筋張って美味くもねえが。
喰ったら腹にもたれんぜ?
[覚悟を決めたのか、それとも恐怖が一回りしてしまったのか。口から出るのはいつも以上の軽口で]
[翳される本を気にも留めず、そのまま爪を突き出し]
もたれようが何しようが、今は傷を癒すための血肉が要る。
一人で居た不幸を呪うが良い!
[軽口には付き合っていられないと言わんばかりに、左腕も異形へと変え、横方向から切り付けた]
[中はユリアンと、そしてハインリヒしか居ない。
少し離れた所に人の気配があるが、おそらくこの館の主だろうか。
こちらに来られるとまずい。
壊された窓枠から、中に入ろうとして壊れたガラスで手が傷ついた。]
ユリアン…!
[気を逸らしてしまうかもしれなかったが、名を呼ばずにいられなかった。
表情は青い。今にも泣きそうな顔で。]
[両方向からの攻撃には、元々武術や護身術など知りもしない素人ゆえに、あっさりと胸元を横になぎ払われて、勢いよく後ろへと転倒する]
…は、っはは。っくそ。いってぇ…。
…いってぇじゃねえかこの野郎!
[せめてもの反撃と手に掴んだままの本をユリアンに向かって投げるが、それも力の無い放物線を描くのみ。書物で知った狼を撃退する為の銀の武器もあるわけもなく。この状況で自分が生き延びる術は、騒いで時間稼ぎをして誰かが来るのを待つしか無く]
[ゆるり、と人に変じる。
昨日ほど引きずられることは無かった。
どうしてかは分からない。
けれどイレーネの血滲む手を手当てすることもできない。
気休めの言葉すら掛けられない。
無論エウリノを逃がす手伝いをすることもできない。
そも、今のエウリノが止まることはないだろう。
ハインリヒ。いい加減なようでも母親のことに心を配り続けていた男。彼が死ぬのをただ見るだけだ。
ただ、それだけだった]
力無きヒトが俺に敵うと思うてか?
[あっさりと吹き飛ぶハインリヒを見下し、口端を吊り上げる。
爪についた紅を舐め、飛んでくる本を首だけで躱しながらゆっくりとハインリヒへと近付いた]
…諦めて、俺の血肉となれ!
[ざくり、と骨の少ない腹部を狙い、薙ぎ払う。
内臓を引きずり出そうと爪を宛がった時、何かに反応して視線を上げた]
……ちっ、流石に気付いたか。
[こちらに近付いてくる足音。
これだけ派手な音を出していれば、見つからないはずもなく]
ここで捕まるは得策じゃない。
命拾いしたな、おっさん。
……いや、その傷じゃ長くも無いか?
[くく、と低い笑いを漏らす。
立ち去ろうと振り返れば、そこにはイレーネの姿]
…行くぞ。
[静かに告げて、窓から飛び出す。
イレーネを抱え上げると、纏う紅もそのままに、再び工房へと*駆けて行った*]
[遠く起こる喧騒は、知るや否や。
彼の姿は、一軒の家の前に在った。外から見上げれど、人の気配はない。
人狼発覚の報は、行き渡っているのだろうか。
そんな思考が掠めつつも、中へ入る。
今となっては、扉の鍵を気にする必要もなかった]
[気配は近づいてくる。その事に恐れを抱く。
守護者は危険だと、それは散々口伝で伝えられてきた故に。
それに主が気づいて手を止めてくれた事に、心底ほっとした。昨日のように、狂乱に身を任せるようなことが無くてよかったと。
ユリアンに抱えられる際に、傷つき倒れるハインリヒをちらと見た。
嫌いな人ではなかった。優しくしてくれた客だった。
だが敬愛する主らに比べれば――塵に等しい。
人を恨むような、主の餌とならなかった事を嘆くような、そんな視線がほんの僅かの間だけ向けられたが。
ユリアンに抱えられて工房へと連れられて行く。
手には微かに傷ついた赤をつけたまま。
これなら食べてもらえるだろうか、そんな事を*考えながら。*]
[意識が何度も遠のきかけるが、胸元と腹部に走る鈍い痛みがそれをなんとか食い止める]
…はは。助かったのかね。こりゃ。
あの野郎…中途半端にしやがってよ…。
年寄りの肉が食いたくねえなら、最初から素直にそう言えってんだよなあ…。
[腹部に手を伸ばせば、ぬるりとした感覚と共に生暖かい血が掌に絡み付く。それもすぐに冷めていき。]
ああ、俺、もう死ぬんかな。こ…れは。
やだ…な。死…ぬのは…。
[震える手で胸ポケットから煙草を取り出し、咥えて火をつけようとするが。血で湿った煙草には上手く火がつかず、結局手からこぼれ落ち]
ああ、あれ…だ…な。
お、れ…詩人だもん…な。
こういう時、時こそ…なんか…詩を…。
[閉じかけた目の映るのは窓の外に広がる切り取られたような空の色]
あぁ…ほら…ミリィ。今ならお前がい、言ってた事判る気がす、する。
[この空を母親に伝えよう。そのための言葉を紡いでいこう、そう決めてはみたものの]
あ…は。やっぱり…なんにも、お、おもいつかねえや。やっぱ…駄目だねぇ…お、俺は。
[その言葉を吐いた後、意識が*途切れた*]
─昨日/自衛団詰め所─
[自衛団の詰め所を訪れ、宿であった事を話す。自衛団員たちはいきり立ち、討伐隊を派遣しようとするが、それは押し止めた]
相手の戦闘力を甘く見るな。
それより、あんた達は他の連中が巻き込まれないように、しっかり守れ。
[では、人狼はどうするのか、という問い。
それに対し、浮かんだのは静かな笑み]
異端を制すは異端が役目。
古よりの盟約に基づき、守護者の……メルクーアの血を継ぐ者が、対する。
……心配するな。最悪でも、相打ちには持ち込んでやるさ。
[勝手知ったる場所ではない故に、探し当てるには少々手間取った。
閉ざされた扉の先。
切り取られた、小さな空が広がっていた。
否、其処に在ったのは、一枚のキャンバス。
鮮やかな青に満たされた空の下、笑い合う村人達が居る。
今の、死に包まれた村とは異なる、生きた人々の姿。
もう居ない者も――それは、青年自身を含めて――、皆、全て。
異なる色の双眸を向け、目を眇める。
それは、確かに美しくはあれど、何の変哲もない空にしか見えなかった。
――…初めは。]
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