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……それじゃ。
[返答は小さく。
ノブを回して、ゆっくりと扉を開く。
そこに在る姿を認めても、驚きのいろは窺えない。]
こんばんは。
……よ。
[いつもなら手をひら、と振る所だが、それに相当する前足を上げるのも億劫と思ったのか。
翼を軽く、羽ばたかせて]
んで、何か用?
[低く、問う。
今の自分を見ても驚きのない様子に、多少、怪訝なものを感じつつ]
……あまり、回りくどいのは苦手でね。
一つ、確かめたいことがあって来た、とでも言おうか。
[一変した口調は、昨夜のナターリエを思わせるかも知れない。
けれど、彼女に隠す意志は、そもそも無さそうだった。
緩やかに首を傾げる仕草は、彼の知るブリジットのものとよく似ているが。]
……っと。
[変わった口調に、蒼が険しさを帯びる]
やれやれ、女は化けるっつーけど、なんでこうもころころと変わるのにばっかり出くわすかねぇ、俺。
[口調は冗談めくも、警戒の響きを隠す気はなく。
僅か、力を得たように持ち上がる翼は、いつでも動ける事を示唆するかのよう]
……確かめたい、事? 俺に、何を。
確かにね。注意するといい。
女難の相があるのかもな。
もっともあれは、演技ではないがね。
貴様にもイレーネ=ライアーにも、好意を抱いていたというにな。
結局は、自壊したに等しい。
[眼を細めた。
自分には関係の無い事というような口振り。
……ああ、そうそう、彼女の方は無事だ。
[彼女は扉に凭れて佇んでいるが、空気は張り詰めていた。]
いいや。
シュトゥルムヴィントの名を、
二度も聞くことになるとは思わなかったのでね。
――「銀翼の弧狼」。
……自壊?
[告げられた言葉に、声音がやや、怪訝なものを帯びる。
過ぎるのは、昨夜見た姿]
……今ひとつよく、わからんが……。
あんたは、俺が昨日まで見てた「あの子」とは違うって認識でいいって事か。
[呟きは、問いというよりは、確かめるような響きを帯びて。
無事、という言葉に、尾がほんの少し揺れたのは安堵の現われか。
だが、それも続いた言葉にぴたり、と止まり]
二度……って事は。
兄貴を……『銀糸の魔狼』の事、ご存知で?
[低く、問う。
自身の二つ名を呼ぶ声に、蒼が険しさを増した]
そうなる。
「ブリジット=エメス」はあれの名だ。
[隠し立てをする気は、やはりないようで。
あっさりと肯定の頷きを返して、口唇が薄く笑みを形づくった。
能面のようだった。]
よかったな。
足手纏いが、いなくなって。
「弧狼」たるもの、他者の存在など邪魔だろう。
中途半端に情などを抱くから――ああなる。
ヴォルフ=シュトゥルムヴィント。
「惜しかった」な。
[ただ単に、知っている。
その一言だけでは、済ませられないような、物言い。]
……なるほどね。
[ならば、この変化にも、納得は行く。
自壊した、という言葉の意味するところも、ある程度は]
……「足手纏い」……ってのは、イレーネの事か?
だとしたら、そこら辺は大きなお世話……とだけ言っとく。
[静かに言い放ち。
含むものを感じさせる物言いに、す、と細められる蒼]
惜しかったのなんのと……何が、言いたい。
いや……何を、「知ってる」?
−L−
[ほぼ一晩の睡眠の中で、青少年は何を夢に見たのか。
ぼんやりとした眼、欠伸をひとつ。
扉のあたりでかりかりと音がするのは猫のせいだろう。
出せー、出してー、出してくださいー。
にゃー、にゃー、にゃーん。
そんな感じだろうか]
…お前はいいよなぁ、気楽で。
[ふわ、と小さく欠伸をして。
猫を外に出そうと扉を細く開けてやれば猫はてちてちと足音をリノリウムの床に響かせて廊下のどこかへ消えていった]
…。
[消えていった後姿を見送れば扉を再び閉める。
しばらくすれば、水音が部屋の中に響いた。
そして、またそれからしばらくするとしっとりと濡れた髪をタオルでわしわしと荒く拭く姿が見えた]
生きてここを出るには、勝ち残るしかない。
にも関わらず、他者を気にかけるとは――ね。
[それは、眼前のアーベルの事を指しているのか、
それとも他の誰かの事を言っているのか、
どちらでもあるような、酷く曖昧な響きを帯びていた。]
……そのままの意味だ。
情に流されなければ、
むざむざ負ける事もなかった、という意味だよ。
約束を違えず、貴様らの元にも戻れたろうにな。
あの男は。
[ベルトから外した鞘を、手の上で躍らせる。]
……情に、流されて……。
[掠れた呟き。刹那、蒼は伏せられて]
……馬鹿兄貴が……。
[零れた言葉は、どこか、吐き捨てるような響きを帯びる]
……あんっまりにも「らしすぎて」、怒る気にもなれやしねー……。
[ばさり、大きな音を立てて、銀翼が羽ばたく。
人の姿であれば、前髪をかき上げるか、でなければ肩を竦めるか──そんな仕種だろう]
貴様も他人の事は言えまいに。
おかげで、
――やりやすかったがな。
[ブリジットならば、端末でそうしたように。
鞘に収めた刃を、口許に当てた。]
……だから、大きなお世話だってんだ。
[そも、ここに連れてこられた経緯からして、人質を取られたがため。
そしてここでイレーネと会って……動きに鈍さが出ていたのは、否定できず。
声は、憮然とした響きを帯びた]
……って。
やりやすかった?
[何が、と問いつつ、訝しげな蒼を、向けて]
…さて。
[グローブをはめれば窓からひょいと飛び降りる。
ざ、とブーツが地面を踏みつけたのはそれからしばらくもなかった。
ポケットの端末を接続して現在の状況を確認しながら足は南へと向かう。
瓦礫の谷間を抜けてブーツが礫と砂とを半々に踏む頃には空に月が昇って]
−→中央〜南域境界地帯−
だから、そのままの意味だよ、
アーベル=シュトゥルムヴィント。
“やりやすかった”ゆえに“生き残れた”。
おかげで、私は今――こうしてここにいる。
[細めた冬の緑は、月のように。
隠された口許もまた、同じか。]
感謝せねばなるまいな?
……ああ。そ。
[冬の緑の、月の笑み。
それを、銀に包まれた蒼が見返す。
冬の海の色ね、と。
彼を育てた姉は言っていた]
お役に立てて何より……とでも言えばいいのかね?
[吐き捨てるような言葉。
声音にあるのは、微かな憤り。
それがどこへ、何を意味して向くのかは、定かではなく]
何故、貴様らはそうして他者を気にかけるか。
理解に苦しむな。
[吐き棄てられたそれにも、
感情のいろは浮かぶことなく。]
御自由に。
[瞬きの後には、形だけの月は消える。]
全く、因果なものだ――
もしくは、敢えて用意されたカードか。
[鞘を下ろして、腕を組んだ。]
何故って……。
俺は、一人では、生きられなかった。
親に捨てられて、兄貴に拾われて。
それで、生きられた。
そして、俺はその兄貴の『誓い』を引き継いだ。
だから……それは、俺にとっての『当たり前』なんだよ。
[それの理解に苦しむ、と言われても。
こちらには、その事が理解できなかった。
大切な者たちと共にあり、それを気遣うのが、彼にとっては当然だから]
[御自由に、との言葉には、じゃあいわねぇ、とさらりと返して]
因果っつーよりは、仕掛け人の悪趣味……ってのが、正しい気もするがね。
そうか。
私の「当たり前」は、異なる。
それだけの話か。
[彼女は組織の中で生きて来た。
それだけ、と切り捨てたにしては、珍しく、僅かに俯き伏せた眼は思案げないろを見せる。
ゆるりと顔を上げると、腕を解いて鞘を戻した。
今、戦う意志はない、という表明。]
大切なものが居る事は大切なことだ、と。
そう言っていたのは「ブリジット」だったかな。
あれも、貴様らを羨んでいたようだ。
[悪趣味との一言には、違いないと同意を示した。]
そりゃ、全員の『当たり前』が同じ訳ねぇさ。
同じだったら……こんなくだらない遊びなんざ、なかったろうしよ。
[静かに言って。
戦意がない、という事を感じたなら、こちらも四肢の力を抜いて、伏す]
大切なものは、支えになる……強さになる。
……勿論、弱さにもなるがな。
[呟くように言って。羨んでいた、との言葉にやや、首を傾げる]
……俺と……イレーネ、を?
[零れた疑問は、不思議そうな響きを帯びて]
[小さく、溜息を零す。]
[僅かな浮遊感と共に、低く響いていた駆動音が止まる。
白の壁に隠された、鉄扉がゆっくりと開いて。]
―地上・モニタールーム―
――…、…!
[モニタの前に居座る、思いがけない人物に僅か眉を寄せた。
『下』のモニタでは、友人が映っていないのを確認していたから
てっきり、一緒に居るとばかり思っていたのに。]
…………?
[何が動く音。モニタールームの椅子で聞く。
先に球体2つが音の発生源にレンズを向け。
ワンテンポ遅れて少女自身も振り返る。]
…………。
[目に入る姿にいささか安堵。
何故なら、彼は確かユリアンのおともだち。]
くだらない、ね。
そうだな。
全く以て、くだらない――
[口許を歪める。
それは形づくられたものよりも余程、笑みに見えた。
愉快さを感じているとは思えなかったろうが。]
己には何も無いから、
有る者に対して、羨望の念を抱く。
浅ましいが、人間らしい感情だよ。
好意と同時に、嫉んでもいたわけだな。
だからこそ、イレーネ=ライアーに挑んだのもあったのだろう。
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