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[肩につかまるロランの身体を片腕で支え
車椅子へと彼を下ろした。
彼の肘から滲んでいた赤が滴り落ちるが見える]
肘の怪我は――…
レイスに診てもらうといいだろう。
ついでに酔い醒ましでも調合して貰うか?
[カチューシャと車椅子を支えたレイスへと眼差しを送る]
……っ、イライダ。
[じわりと、鏡の向こうの自分とイライダの像が揺らいだ。
不意に込み上げた涙を、どう説明していいのか分からない。
吐く息は言葉にならず、ただ、鏡越しに彼女の瞳を見つめた。
驚いたようなその表情を見つめる]
……。
[ボクは何の説明もせずに、振り返る。
彼女に縋るように抱きついた。
髪に差された小花のピンが、その存在を微かに伝える]
…ごめん、なんでもないの。ごめん。
[ごめんと繰り返した。
突然の振る舞いは、さぞかし不審だったろう。
けれどなんと言っていいか分からないから、
ボクはそのまま口を閉ざす]
[車椅子に着地し、持ってきた革の袋も確かめて。
濡れた革靴を脱ごうと手を伸ばす。
ぽたぽたと膝に落ちる赤。
半身屈めるのはやめて、肘を持ちあげて覗きこんだ]
……っ、
酔いは、もう覚めた。
[ユーリーの言葉に、ふると頭を横に振り。
ユーリーとカチューシャに遅れてレイスを見上げたのは
同じようにやはり無言で、傷薬があるだろうかと
問い強請る態]
…嬉しかったから。だから、つい。
こうしていられるのかなと思ったら、何だか…
急に、悲しくなって。
[ぽつ、ぽつと言い訳じみた言葉を継いだ。
柔らかな温もりと優しい匂いが、心地良い]
[こうしていたいと、ボクは思う。
甘い甘い、優しい香りだ。
こうして優しい時を過ごしていたいと心から願う。
……ああ。
この柔らかな肉体の血と肉は、どれほどに甘美だろう──…?]
[じっと、見てしまった。
赤に、見惚れてしまった。
きっと、気づかれていない。
気付かれていない筈。
気付かれていないと…いい。
揺れる。
迷う。
――惑う]
[ロランの傷を覗こうとはしないが
目に留まる赤に少しだけ痛そうな表情が過ぎる。
酔いは醒めたと聞こえれば頷いて]
春と言ってもまだ水は冷たい。
風邪を引かないように
はやいとこ着替えた方がいいだろうな。
[線の細い年下の彼にそう告げて
膝から下を濡らした男は香草の生える其方へと歩み
置き去りの籠をひょいと持ち上げると
カチューシャへと差し出した]
いや。
[不安定な車椅子を支えつ、カチューシャの小さな声には首を振る。
それからロランの方へ目を遣ったなら、赤い色が見えた。
それが分かれば、僕に向けられるそれぞれの視線に含まれる意味は理解できる。]
薬は、一度取りに帰らないといけないが。
……見せてみろ。
[そう断りを入れて横側に移動し、怪我をした方の腕を取ろうとした。]
酔って落ちたのか。
[酔い覚まし、などという言葉が聞こえれば、僅かに呆れの色も浮かぶのだが。]
ごめんね…?
[もう一度謝罪を置いて、イライダから身体を離す。
彼女がお茶を勧めてくれるのには、ん。と頷いた。
少しだけお化粧を直してもらって、ハーブの香るお茶を頂く。
揺れる心が、少し、穏やかになるような気がした]
…あ、ユーリーも
[濡れてしまった。
色濃くなった彼の足元を見て、少し声音を上げる。
どうしよう、と視線泳がせた後、
キリルの声に振りむいて、素直に手を上げる。
白いシャツが破れ、赤く染まる傷。
切り傷と違い擦り剥いたそれは、赤く生々しかった]
…飲んで無い。
昨日の、二日酔いがちょっと、と。
[普段から笑み見せない男の呆れた声に、
少し小さくなって俯いて視線だけ、あげる]
[ロランが車椅子にちゃんと戻れば、支えていた手を離す。
レイスが傷を見ようとするのを邪魔しないように一歩離れたところで、置いてきた籠を思い出し――]
え、あ……ありがとう。
[目的の籠をユーリーが差し出すのに、はにかんで答えた。
頭痛とロランの騒動で青ざめていた顔にちょっとは血の気が戻る]
ありがとう、ご馳走さま。
…また今度、色々と話を聞かせてね。イライダ姉さん。
[微笑む彼女の背後に、薄紅色の花が咲いている。
淡く淡く薫る春のいろ。
それへもう一度笑み返して、ボクは彼女の家をあとにした]
─→自宅─
[レイスの紡ぎに男ははたと瞬きして]
まだ若いんだからそういうこともあるさ。
ロランも経験を重ねて
何れ僕らを追い越してしまうかもしれない。
[軽い口調で紡ぐのは
自分たちの“若い頃”を思い出して。
ロランの上げた声にはふっと目を細め]
これくらい大丈夫。
帰れば着替えくらいはある。
[心配するな、と言う風にさらと声を返した]
―― 畑 ――
[小屋での作業が終わると、薄い皮手袋をして花を摘む。
自分と家族と、それから村に分ける分。
加工用でなく食用にするため花を摘む]
……………
[この花には小さな棘がある。
花畑の畝の中、指に挟んだ刃でぱちんぱちんと摘んでいく]
[血の香りと対極にある、ハーブの香り。
それがボクの心を、人の世界に引き戻す。
食べたい、食べたくない。
食べてしまいたい、──…なくしたくない]
……ロランも、
[きっと同じく惑う幼馴染のことを思う。
きっと彼も、今、同じ迷いの中に居るのだろう]
――ん、………どうして、だめなんだ…?
[目の前の男の顔は見えない。]
『無理だよ。俺は人狼だから。話くらい、聞いたこと…あるだろ?』
まだ幼かった自分にとって人狼なんてただの噂で、目の前の男は人にしか見えなかった。
狩猟に出る父の後を無断で尾行け、まんまと森の恐ろしさを目の当たりにし、その上半べそをかきながら歩いていて、急な斜面から滑り落ちた。
そして、通りかかった見たことのない男に助けられた。
男は「安住の地を求めて」と冗談めかしながら、旅をしていると語った。]
『俺んとこの集落に住めばいいよ』
[何も知らない自分の言葉に、男は頭をゆるりと横に振り、笑った。
顔は思い出せないけれど、確かに笑ったのだ。
…すごく哀しそうな顔で。]
ロランもカチューシャもいい子だな。
[二人にそんな感想を漏らし
はにかむカチューシャの眸を覗く]
如何いたしまして。
キミも無理はしないようにね。
マクシームが心配する。
[幼馴染の妹に案じる言葉を掛けた]
―朝・自宅―
[ゆっくりと、瞼を開く。
自宅の天井…ベッドの真上の見慣れた光景だった。]
――夢、か。
[久々に彼の夢を見た。
自分を人狼だと語り、頑なに集落に住まうことを拒んだ男。
彼と出会い、別れたその日からしばらく経って、「遠くの集落で人狼が出た」との噂を耳にした。
単なる噂だ。本当は狼や熊辺りの仕業かもしれない。
そう思いながらも、無意識に…脚に残る傷に手が伸びた。
通りすがりの旅人にからかわれただけ。
自分に言い聞かせようとするが、彼の哀しい笑顔が、…顔も思い出せないくせに胸を締め付けるのだ。]
─ 自宅 ─
ただいまー…、兄貴?
[帰った家は、無人だった。
元より少し立ち寄るだけのつもりだったから、問題ない。
すぐに裏庭に回った。薄紅色の花の枝を、一枝二枝]
……。ただ見せに来たって言っても、だし。
[墓参りが完全に口実化している。
若干の後ろめたさを感じながら、もう一度家に戻って鏡を見た。
花の枝と同じ、春の色を纏った顔がそこにある]
よし。
[髪に飾った白い小花のピンも確かめて、
ボクは、意を決してイヴァンの家を目指すことにした]
大丈夫だ。
[あの篝火で狼は集落へは寄って来ないだろうし、万が一入り込んでも、戸締まりをきちんとしていれば家の中まで入って来られるはずがない。
こちらから…招き入れなければ。]
…………ばかか。
[わしわしと頭を掻き、ベッドサイドに置いてあった煙草に火を点ける。
ふぅ…と、煙と共に大きな溜息を吐いた。
大丈夫だ。もう一度、言い聞かせるように胸中で呟く。]
[いいこ、と子ども扱いされても、兄と同い年の友人ならしかたがない。
青い瞳を覗き込まれて、ユーリーと視線を合わせたまま小さく頷いた]
はぁい。
――もう、あんなことはしないもん。
[昨夜のよっぱらい状態はユーリーにも見られていることは覚えている。
恥ずかしそうにしながら、素直にこたえるのだった]
[ロランの腕を取る。屈んで、傷を見た。
傷跡は痛々しいが、然程酷いものでもなかった。]
……まあ、薬を付けておけば大丈夫だろう。
先に着替えるか?
[そう言って立ち上がる。
着替えるのなら、その間に薬を取って来ても良い。
そう言えば先程熱醒ましの話も聞いたことを思い出す。]
悪いとは言わないが。
なるべく仕事は増やさないでくれると有難い。
[ユーリーの言う“若いうち”には、心当たりがないわけでもない。
ただ、相変わらず笑顔を作るのは不得意だ。
今だって軽口のつもりだけれど、ロランの目にはどう映ったか。]
[ふと、道端を行くボクの足が止まる。
一瞬のことで、また何事もなかったように行くのだけれど]
…ん。なんとなく、感じたから。
何かあった…?
[迷うような惑うような、酔うような。
揺れる感覚を、ただ感覚のみとして幼馴染に問い掛ける]
[再び広場の脇を抜けて、イヴァンの家を目指す。
家が見えたところで、一度立ち止まった。
髪に手で触れて、乱れていないかをチェックする。
それから、そうっと家を覗き込んだ]
イヴァン、いる?
[いつもより声が小さくなるのは、緊張の所為]
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