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[緋色を纏う女は、青年の答えに口許のくれないを笑みの形に変える]
花の…?
欠けた記憶の裡にでございましょうか。
何をか、思い出されはいたしましたか?
[伏せられた蒼氷]
[見えぬはずのその色彩を覗き込むよう、女は顔を近付ける]
私はその様に思いますけれど。
[リィン]
[持ち上げた手は、青年の腕を取ろうと伸び、止まる]
この色は?
[あかに見える色彩に、女の関心は寄せられる]
……思い出した……訳ではないが。
何か、引っかかるものがある……って、所か。
[呟きはどこか独り言めく。
雅の解釈には、そういうものか、と呟いて]
これは、まあ。
……見たとおりのもの、としか。
[腕に伸びて止まる手。
色彩の意を問う言葉には曖昧に返し、蒼氷を女から逸らす。
逸らした視線は、緋の中の道を歩む姿を捉えた]
……月夜の散歩は、流行なのか……?
[花咲く流れに抗い進んでいく。
縮れて寄り添う花弁は反り返り、
長く伸びた蕊は彎曲し天の光を受け止める。
立ち去る者を惜しみ愚図る幼子のように、
微かな風にも頭を揺らしていた]
戻るから、平気だよ。
[かけた言葉の意味を、花が理解することはあったか。
ふと風が止み、かれらの動きは止まった]
僕は、
此処に居なければならないのでしょう?
[水面に生まれた波紋は収まらず、
深く沈んだ小石が消える事も無い]
[揺らめく心の侭に、かれは謂う]
あ。
ヴィーに、キャロ。
[月明かりに照らされる二者の姿を認め、歩みは早くなる]
何、してるの。
……秘密の話でも、していた?
[半ば足を覆うズボンが土に塗れるのも気にせず、
泉の傍らに寄り、問いを投げた]
[呟きめいた言の葉を、静けさに満ちた月下の世界で聞く]
厭な記憶ならば、戻らぬままの方が良いでしょうか。
[曖昧な答えが二つ]
[蒼氷が逸らされても、碧の色は腕のあかから外されない]
[未だ腕は中途な位置に留まったまま]
ラッセル殿。
[新たに増えた声に、ようやく碧眼は向きを変えた]
別に、何、と言うわけでもない。
月に惹かれて彷徨い出てきたら、たまたま同道した、という所かね。
[やって来たラッセルの問いに、軽く返す。
他に理由がないとは言わぬが、他者に言うほどのものでもなく]
……さて、記憶に関しては。
どちらがいいのか、今の俺には皆目見当もつかないね。
[キャロルの言葉には、呟くよに返して。
碧が逸らされた紅を隠すよに、左の上に右を重ねて腕を組んだ]
[何を、と問われ、直前に聞いた言の葉を口にする]
月夜の散歩でしょうか。
ああ、いいえ。
たわいもないお話を。
月や花や雅や、その様な事を。
[思い出したかのように、女は再度くれないを開く]
ラッセル殿は、この花は御嫌いでございますか?
[密やかな花は、主張はせねど、微かに香を漂わせる。
仄かに甘いような、饐えたような。薄く、包む匂い]
ヴィー、まだそのままなの?
クーに叱られるよ。
[自分は寒さ対策をして来たのに、と言うように、
白の布を掴んで揺らしてみせる。
尤も、後者の遣り取りは当人同士しか知らない事だが]
オレは、絵描こうかと思ったんだ。
そしたら、誰かいるみたいったから。
[布の下に隠れていた左手を露にする。
言葉の通り、一冊のスケッチブックがあった]
月は確かに、誘われるような気がするよね。
秘密の話じゃなくて、残念だけれど。
[花へと話題を導かれ、視線が動く]
この花?
うーん……、嫌いじゃないよ。
変わった形、してるよね。
[左手を下ろし、右手が花弁に伸びる。
微か湿った表面を撫ぜるように、宙を指が滑った]
そもそも、花はすぐに散ってしまうから。
好きでもないけれど。
……叱られても、正直困るんだがな。
[広間で向けられた言葉を思い出し、微かに眉が寄る]
俺がどうなっていようと、別に、俺の勝手だと思うんだが。
[何処か投げやりに言い放ち、泉の畔に膝をつく。
周囲の緋が、微かに揺れた]
記憶が戻らぬ間では確かに、無益な問いでしょうか。
[重なる腕の気配に、伸ばしていた手を引く]
[チリン]
此処以外の何処かに自分が居た。
それすら確信を持てないのは…、
[ひそりとした言の葉は、最後まで語られる事が無い]
困るなら、叱られるようなことしなければいいんだよ。
人が人と関わり合う以上、
一人の行動が、自分だけの勝手って、
ないんじゃないかな。
何かしら、影響は与えるもの。
[語調は変わらず、平坦な言葉を並べる。
視界の端での動きに花弁から泉へ流れた視線は、
水面に揺れる月の姿を見て取った。
歪む、円。]
[碧眼は、関心の色を帯びてスケッチブックへ向けられた]
[緩やかな動きで、女は少年の元へ歩みを進める]
それでは今から、秘密の話しだった事にいたしましょうか。
[感情の薄い声]
[指先を伸ばし、少年のあかの髪を掬う]
……必要な事なら戻る、無用なら戻らない。
記憶に関しては、そんなものと思うしかないんじゃないかね?
[引かれる手と、それに伴う鈴の音を聞きつつ、こう返し]
確信なんて、恐らく、誰にもない。
……なら、そこで考えすぎても仕方がないだろ。
[言葉と共に、水面に伸びる。
紅を滲ませる白に包まれた、左の手]
……そういうもの、かね。
[並べられる平坦な言葉に呟きつつ、指先を水面に触れさせる。
波紋が揺らぎ、冷たさが伝わる。
これに浸せば熱は和らぐか、などと思いながらも。
他者の居る場でそれを行うのは、躊躇いが先に立った]
[寄ってきた女に、見る?と差し出しかけ、
掬い損ねた髪が他を揺らし、片目を細める]
それはそれで、どんな話だったか、
気になってしまいそう。
ああ、そもそも花の命の短さが。
[確認の様に、吐息混じりの反復を]
儚いものが苦手でいらっしゃいましたか?
それこそを佳いとする者も居る様には思いますが。
そういうもの、じゃないのかな。
オレよりあなたのほうが、
きっと、知っていると思うけれど。
[波紋は円を崩していく。
水面に映し出された月が、
形を保とうと揺らめいていた]
ヴィー、寒くない?
それとも、熱い?
必要ならば。
けれど、大切なものほど失い易いとも。
それはきっと記憶であれ。
[碧は瞼の裏に隠れ、長い睫毛が落ちる]
[くれないは弧を描いた]
それでも貴方ならば、また拾うだけ、思い出すだけとおっしゃるでしょうか。
[声はいつまでも問うばかり。けれど、裏腹な同意]
仕方無いもの。そうかもしれませんね。
苦手――に、なるのかな。
すぐにいなくなってしまったら、詰まらないもの。
それに花は動かないし、あたたかくもない。
[視線は水平へ。
音を紡ぎ息を漏らす、女の唇を映した。
描かれる弧を。]
キャロは佳いと思うの?
この花が、好き?
さて、それはどうだかね。
[知っていると思う、と言われ、口元に掠めるのは何処か冷たい笑み。
波紋に揺らぐ月に蒼氷を細めつつ、結局、手を軽く浸すに留めて水から離れる]
別に、寒くもなければ、熱くもないが?
[問いへの答えは、一部は偽り。
しかし、熱を感じるのは一部のみ故に、完全な偽りとも言えず]
冷えますよ。
[先程泉に浸した指は、風にも熱を攫われて、克明な白さ]
[同じ様、泉に触れる青年に短い声を]
見ても構いませんか?
[差し出されたスケッチブックに意を察したか、少年へと問い掛ける]
[また一房あかを掬い]
それでも秘密にしなければ。
そういうものでございましょう?
[大切なものほど、という言葉。
それに、紅の源が疼いたのは気のせいか、それとも]
……それで、正解。
必要であるなら、取り戻し、留めるだけだろ。
[肯定の言葉はさらりと軽く。
水を離れた手から落ちた雫が、複数の波紋を水面に浮かべた。
冷える、との言葉には、ああ、と気のない声を返すのみ]
[眼に映るは女の笑み。
泉に映るは男の笑み――
それも、波打つ水の合間に消える]
そうそう、冷えちゃう。
[キャロルの言葉に、同意を示す]
熱くないなら冷えたら寒いし、
熱いなら冷やしたいのかと思った。
ふふふ。
退屈を嫌われる方が、こちらにも。
温かく、動くもの。それがラッセル殿の好きなものでしょうか。
[静かな笑み。その形は変わる事なく]
――はい。
[少女のような、聖母のような、娼婦のような印象を兼ねた微笑]
[恭しい声が、短く肯定を返した]
秘めなければ秘密じゃないものね。
秘めたものほど、知りたくなってしまうけれど。
[女を真似てか、微か口端を上げた。
許可を口にする代わり、
髪を掬う手を取り、
己の手にする冊子の上に導く]
冷えたからって、凍りつくわけでもないだろうに。
[大げさな、と言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
少年の言は正鵠を射ており、言い当てられたが故にか、冷笑は苦笑に転ずる]
……さて。
それじゃ、俺はもう少し、月に惹かれて彷徨うか。
[蒼氷を天に座す月に向けつつ、言って。
ふらり、緋色の中へと*歩き出す*]
こちらにも?
[確認めいた言葉には曖昧に頷きを返す。
己にも確かではないものであるから。]
……キャロは好きなものが多いんだね。
[連なる印象を紐解くように、言葉を重ねた。
渡したスケッチブック、
その紙の上に描かれるのは、
白と黒で綿密に写し取られた世界。
其処には城があり、空があり、花があり、
しかし、人だけは何処にも居ない。]
[頭を垂れたその姿勢のまま、女は青年を見送り]
[またあかを掬おうとした手に、温かい掌が触れる]
ありがとうございます。
[その場に屈み、端を折らない様、丁重にスケッチブックを捲る]
私の好きなものはたったひとつで、そして沢山。
[捲る動きの度、鈴が揺れる]
[人が居ない絵画ばかりである事に女が気付いたのは幾枚目の事*だったか*]
冷えて直ぐに凍るわけではないけれど、
冷えて冷えて、冷え切ってしまったら凍るかも。
[彼方へと向かう背を見送る。
視線はそれより、少しずれた位置だった]
酒は「命の水」と言うけれども……
それだけではこの渇きは癒せないな。
[喉を滑り落ちてゆくひりつく刺激を楽しみつつも、そんな言葉を吐いた。]
ひとつで、たくさん。
全ては同じものなのかな――
[繰り返す。
絡み合った糸は未だ解けない。
鳴る鈴の音を聞きながら、天と地、二つの月を眺めていた。
手は届かず、届いても得られないもの。]
戻ろうかな。
[程なく時が経った頃、そう呟く。
景色を描くことはなかった。
やがて女を誘い、古びた城へと舞い戻る。
揺れる花は、よろこびに*ざわめくようだった*]
……いえ。何でもありませんよ。
[振り返ったニーナに手を振って微笑み――彼女には表情は判別できないのだが――、彼女が出てゆくのを見守った。]
[盲目か……否、恐らく弱視なのだろうと判断し、それ以上触れはしない。
色でものを見ているのだとは、知る由もない。]
―客室―
で、使って良い部屋はあるのか
[そう番人に聞いて、教えられた部屋の中、男は軋む音を立てたベッドに腰掛けていた]
[布団は悪くはないが古風なものだ]
[無骨な手が、今は左の、傷の走る目を押さえていた]
[力が入っているのか、指の下で巻き込まれた緋の髪がくしゃりと音を立てた]
――…
[何かを思い出したのか、口は小さく誰かの名を紡ぐ]
[閉じられた目に映るものが何であったかなど、わからない]
[風が幾度か窓を叩き、手が外れ、黒紅があらわになると、男は立ち上がった]
[戸棚を開くと水差しがあり、中に水はなかった]
生まれたと言うかな……
生まれ変わった、と言うべきかも知れません。
[少し、声音が変わった。
それは、彼が肉声で話している時の声のイメージに近かった。]
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