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…ん。
[ユーリーの言葉に、少し和らげた目元は赤い。
濡れた睫毛が瞬いて、小さく、判ったとの意を告げる。
キリルの言葉に、ゆるく振りむいて、また、頷き]
――お願い、できると嬉しい。
[車輪から手を離した]
―― 少し前 ――
[イヴァンから謝る理由は聞けなかった。
幼馴染の潔白を知る男は困ったような表情を浮かべる]
シーマの死はお前だけのせいじゃない。
僕だって、あいつについててやらなかった。
[男もまた後悔していた。
吐息まじりの言葉を吐き出し、
薄いくちびるを噛み締めて口を噤んだ]
…ありがと。
[幼馴染に小さく、礼を言う。
車椅子の押し手に震える手を添えた。
掴まるものが何かある、それだけでもまるで違う。
一度鼻を啜ってから、車椅子を押す。
がたりと押せば、車輪がまた高く軋んだ]
[台所のテーブルの上には、濡れふきんをかぶせておいたサンドイッチがそのまま残っている。
兄の部屋も昨日のまま。
―― 一人きりでいる家は、がらんとしている]
……っ
[ぎゅ、と手を握り締めて感情を抑えた]
[ユーリーの腕から離れる手は名残惜しげに空を泳ぐ。
車椅子を押してもらい、カチューシャの家へと向かう。
背後に歩く幼馴染の手が震えて居る気がして、
そっと、自身の肩の上から伸ばした手を、彼女の手に重ねようとした]
…カチューシャ、いる…?
[家の外から紡ぐ声は、小さく。
届くかは判らないけれど、かけずにはいられなかった]
[狭い村のこと、広場からの距離はさしてない。
がたりごとりと車椅子を押し、向かう先はカチューシャの家]
……なんて言おう…。
[途中、ぽつと問う風でもなく呟いた。
さらりと向かい風が吹いて、血の匂いをさらっていく。
ボクは漸く顔を上げて行く手を見た。
カチューシャの家が目に入り、また少し顔が歪んだ]
…カチューシャ、辛いね。
きっと…泣いてる。
[空が白み月の光が陽光に負け始めれば、理性が頭を擡げ。
進めば血の臭いは薄くなり、それもまた作用して
呟く声は、何時ものロランの物となっていた。]
―― 少し前 ――
[ユーリーに首を振る。
確かに後悔しているのは自分だけじゃないだろう]
ありがとう
[それでもしばらく気分は自責から離れそうにない。
どこかに遺体を運ぶと彼が言うのを聞けば]
棺になりそうなものを探してくる。
このまま外には置けないだろう。
木の下でなく、どこか室内がいい。
[そういって、ふらりとその場を離れていく。
それはキリルがやってくる少し前のこと]
…うん。
[血の匂いが薄くなる。
夜は昼に、その座を明け渡してゆく。
それに従って戻ってくる人の性が、ボクの顔を歪ませた。
震える手に添えられた、幼馴染の温もりが暖かい]
───…泣かせて、しまった。
[ぽつりと落とす]
『 そんなにきつく握ったら
手に爪あとが残ってしまう。 』
[優しい声を思い出して、握り締めていた手から力が抜ける。
悲しげな吐息を零して、誰も食べる人が居ないサンドイッチから視線をそらした。
幼馴染二人がむかってきていることは知らなかったけれど。
気持ちを落ち着けるためにお茶をいれようとして]
――?
[名前を呼ばれた気がして首をかしげた。
扉のほうへと視線を向けたときに薬缶が甲高い音を立てて、起きていることを扉の向こうへと知らせた]
[最初に喰らったのは旅人だった。
次に喰らったのは、幼馴染の兄だった。
夜が明け、ボクはその差を思い知る。
最初はやはり、どうあっても外の人間だった。
親しくあっても村の人ではなかった。
けれどマクシームはカチューシャの兄。
幼いときから見知る、村の大切な一員だった。
その重み、その大きさを昼になり知る。
───手が、震えた]
[カチューシャの家の中から、音がしたから眠っているわけではない事が判る。
ドアノブを開けてほしい、と、目だけでキリルへ向けた。
キィ、と高いいつもの音が、誰がを報せてくれるだろう]
…お邪魔、するよ?
[扉を開けてもらえれば、小さく置く言葉]
[彼女の震える手へと重ねる手に、力を籠める。
きゅ、と、少し痛いくらいに]
…飢えると、しんでしまうから。
[彼が死ぬか自分達が死ぬかだったのだと。
言いわけのように告げる言葉は、自身へも向けてのそれ]
俺は、後悔はしてないよ。
[低く添えた]
―― 村はずれ ――
[この村には樵はいない。
ただ、薪炭材用やその他の目的に使うために時折森から木を切り出していたし、先日の旅人を弔うためにいくつか板を用意していた]
……………
[時折手や動きを止めながら、それでも体を動かしていたほうがマシだった。村外れの材木置き場で、友人を弔う支度を淡々と行っていた]
[歯を食いしばり、目元を袖で拭いながら]
……ん。
[きつく、強く手が添えられる。
手の甲が白く、それと微かにしるすほど]
───…ん。
[どこか言い聞かせるかの言葉に、一度目を閉ざして頷く]
[棺になるものを探しにいった幼馴染。
置いておくのはカチューシャがお別れを言えるまで、と
思っていたが其れを言いそびれてしまう]
使われてない小屋、何処かにあったかな。
[屋内が、という幼馴染の言葉を思い出し
ぽつりと呟く。
そうしてマクシームの方を見遣り]
なぁ、シーマ。
家に帰りたい、か?
僕は――…、カチューシャに死の匂いを近づけたくない。
[血の匂いにひかれるものもいるかもしれない。
思案げな様子で呟いて]
それにキミも、――…
[静かに眠りたいだろう、とくちびるのみで紡ぎ目を細めた]
[火を止めれば、薬缶が静かになる。
扉の向こうから、聞きなれた轢む音が聞こえて]
ロランー?
わっ、キリル……
も……もしかして、心配してきてくれた……?
[視線を向けた先、開いた扉からロランの姿が先ず見えて。
キリルが駆け寄ってきて抱きしめられるのに瞳を瞬かせる。
顔を洗ったとはいえ、泣きはらした瞼と赤い瞳はごまかしようがない。
小さな村だから、とっくに知っているだろう二人に、ぎゅ、とキリルを抱きしめ返してちいさくありがとうと告げた]
[分かっている。
食べねば生きていかれぬのは人も人狼も狼も同じこと。
既に旅人を牙にかけたその時から、既に道は別たれている。
分かっている。
────分かっている]
[キリルがカチューシャに駆け寄って抱き締めるのを見る。
キィ、と車椅子を進め、一歩だけ離れた位置まで進む。
手を伸ばせば、指先だけが届く位置。
烏色に映すのはどちらをでもなく、ふたりとも共に]
…ん。
[きゅ、と、手を握る。
ふわふわと揺れる髪にさらりと別の色が重なるのを
じっと、それだけ言って見守った]
…もう、厭になった?
[幼馴染を抱きしめる様子に、低くかける声。
柔らかいその彼女だって、自分達にとっては餌に成り得るのだ。
自分の想いはかけらも乗せず、ただ、小さく首を傾ける気配]
─自宅─
[その日の朝は、いつもより早く活動を始めた。
昨夜の妹の声を聞くことはなく、未だ何を話していいか分からないまま、作業場で昨日しそびれた薬の整理をしていた。
引き出しを閉じ、鍵を掛けた――滅多に開けない隣の引き出しに、何気なく目を遣った。
その時誰かの来訪を告げる音がして。
それから程なく、妹が僕を呼んだ。マクシームの名と共に。]
……ロランも、ありがと……
[一歩離れた位置でとまるロランに、キリルに抱きしめられたまま視線を向ける。
こうして、心配して駆けつけてきてくれる幼馴染の存在が心強い。
一人きりだった寂しさは、あっというまに消えていった]
[幼馴染を抱きしめる腕は、半ば縋りつくよう。
人たる岸へ繋ぎ止める彼女へと縋りつく。
けれど知っている。もう戻れないこと。
────もう戻らないこと]
―広場―
[そうして、行かなくてはと言い張る妹を止めきれずに。
今僕も広場にいて、それを間の当たりにしていた。]
……ッ
[血には慣れている。その筈だったけれど、これ程までに夥しい量と強い臭い。思わず口許を手で覆った。
生きてはいまい。見なくたって分かる。
本当ならば妹に真っ先に手を貸すべきである筈なのに、それもできなかった。]
本当に、……マクシーム、なのか。
[昨日ミハイルと共に火の番をすると、頑なに譲らなかった彼。
旅人の死を聞いた時以上に、信じ難かった。
ゆっくりと口から手を離し、息を吸う。血の臭いは未だ、濃い。]
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