『認識』とは即ち記憶に刻まれること。
記憶に刻まずして『認識』は成り立ちえない。
人の生死も然り。
誰か一人でもその「人物」の記憶が残って居れば、その「人物」はこの世に存在したと言う証明となり、その人の中で生き続ける。
存在するもの全てに『忘れ』られてしまった時、その時初めて死が訪れるのだと。
そんな考え方をするんだとよ。
肉体が滅んでも記憶に残れば、ってことらしいが、俺としては似たような霊魂的な考え方よりはこっちの方が数段面白いと思ってる。
結局のところ、輪廻しちまえば前の人間ではなくなっちまうからな。
輪廻後の人間を輪廻前の人間と同一視出来るかっつーと、土台無理な話だ。
さて、土産話はここまでだ。
邪魔したな。
[そこまで言うと、再び手巻きタバコを口元へと戻す]
[見下ろした修道士に今の話は届いているのだろうか]
[届かぬのなら届かぬで構わない]
[喋るだけ喋って区画から出ようと踵を返す]
[そうして背を向けたまま]