―数年後・とある城の一室―[開け放たれた窓から入り込む風は初夏の爽やかさ。けれど俯き、一冊の本を眺める女の表情は愁いを帯びていた。―Helmut von Tieck―その文字を指先でなぞって。その人物のもと、使用人として仕えていた女は一つ息を吐いた]フォン・ティーク卿……。[屋敷の中の誰もが、主の名をそう呼んだ。寧ろ、多くの時、名ですらなく、主と示す言葉を用いた。ヘルムートと呼べる親族は、只管に遠い。距離の意味でも、心の意味でも][――それは、冷たい名前だった]