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[ 再び、緋色が目に入る。思考が逸れる。
――彼の男は、アーヴァインを殺すのだと云っていた。
血の惨劇。“また”あの鮮やかな色彩が見られるあの馨しい匂いが嗅げるあの甘美なる味を味わえるかもしれない。其れは、酷く魅力的なものに思えた。アーヴァインは駄目だとしても他の人間は如何だろう。容疑者は沢山居るのだ。]
[ ぐらりと、世界が揺らぐ。]
[ 同族の味方も、人間の助力も、する気は無かった。
自分以外に信じられるもの等無かったから。
唯、自らの欲望さえ満たせれば好いと思った。]
[ ガサリ。風も無いのに視界の端で傍ら茂みが揺れた。
深き森には人を喰う魔が棲まう。其の様な言伝えが想起されたか、青年は視線だけを些か機械的にゆっくりと動かす。
――闇の奥で煌く、金色の眸。
遥か遠くにも聞える低い唸りは雷鳴か。
降り出した雨が一滴、頬を濡らし*伝い落ちる。*]
[目の前には、倒れ伏した人、人、人。
手に発砲したばかりの銃が握られ、硝煙をたなびかせている。
銃は便利な道具だ。
遠くから使えば簡単に人を殺す事が出来る。
刃物や鈍器のように人の肉や骨を断つ感触を伝えることもない。
しかし、それでも。
人を殺した事には変わりない。
私の罪は、許される事などないのだ。
私は屍の向こうから歩いてくる『彼女』にも銃口を向け、躊躇うことなく発砲する。
……そこで、目が覚めた。]
[ 頬を打つ雨にも意識が奪われる事は無く、闇色の瞳は真っ直ぐに其れを見据える。欲望の光を湛え爛々と輝く金色の眸。
他の部位は辺りを包む黒に紛れて見えないのにも関わらず、其れは獣だと判った。理性等欠片も無い、欲望を剥き出しにした狼。
或いは、其れは――。]
[ 彼自身か。
村の老体は森の深きに棲まうと云うが、魔はもっと傍に在る。より近しいものだ。気が付けば直ぐ其処にも迫っている。]
[ 何れだけの時間そうしていたのか、不意に金の光は黒き闇の中へと消えた。
額に張り付いた髪も水を吸い込んだ服も、重みを増して滴をポタポタと零す。陽光は失われ、代わりに木々の合間から覗くのは遠くに落ちる稲光。]
(……寒。)
[ 我に返ってみれば思うのはそんな事で、再び傾斜を見上げれば躊躇いなく来た道を辿り館を目指す。
大地に描かれた緋い雫の軌跡は、今宵の雨に*埋没する事だろう。*]
[ベッドから身を起こす。
『あの時』の夢を見た。酷い頭痛がする。
外を見ると、日はとっぷりと暮れていた。
やはり、昨日飲んだアレのせいだ。
もったいないと思って飲んでしまったのだが、それがいけなかったらしい。
口の中には、未だにあの生ぬるい風味が残っている。
そのうえ、あんな夢を見たせいか妙に息苦しい。
無性に空気が吸いたくなり、窓を開けようとした。が、開かない。
忘れていた。この屋敷の窓は嵌め殺しだ。
その場で深呼吸をするが、やはり息苦しい。
仕方がない。
軽く身支度を整えて、*新鮮な空気を吸いに屋敷の外へと足を運んだ。*]
[ぷつり、]
[繊維を噛み切り]
[骨から肉をこそげとる]
[その感触も]
[じゅわ、]
[脂の蕩ける様な]
[やわらかい膚も]
――回想・自室――
[早朝。目を覚ませば旅支度を整える少女に、使用人の一人が声を掛ける。
――内容は滞在を促す物で、少女は頑なに首を横に振るが、恩人の申し出と聞けば渋々承諾して、もう一日だけと屋敷内でゆっくり時を過ごす旨を使用人に伝えた。]
[旅支度が無駄になれば、余った時間は何を求める?
自身に問い掛けながら、少女は屋敷内を探索し始める。]
[書庫で古い本に手を伸ばし、音楽室で鍵盤に白く細い指を落とせば、薄紅色の唇からはアリアが零れ落ちる。細くも高く透き通る歌声は、この屋敷の誰の耳にも届くことは無く、まだ日が昇りきらない静謐な空間に、僅かに漂っては消えていく。]
[日が中央に昇る正午、少女は音楽室を出て再び屋敷内を探索し始める。
途中、使用人に声を掛けられれば、厨房で彼らと食事を共にし、再び屋敷内を歩き始める。]
[使用人から教わったとおり、屋敷の裏手にある庭園に顔を出し、花を愛でること数時間。日が傾き始めたのをきっかけに、少女は広間へと向かう。途中、書庫から本を一冊拝借し、使用人にティーセットを準備してもらって…。]
――庭園→書庫→広間へ――
――広間――
[中に入ると、昨日挨拶を交わしたナサニエルの姿が目に入り、軽く会釈をする。
他に何人かいるようだったので、微笑を浮かべながら挨拶を済ませ、一角のテーブルに着き本を開く。]
[給仕を申し出られればお願いしますと唇に乗せ、熱いアールグレイをティーカップに注いでもらい、ゆったりと啜りながら。しかし他の人の邪魔になら無いようにひっそりと、少女は自分の時を刻んでいる。]
[ 其の頃。静かに刻まれる少女の時とは正反対に、青年の時間は甚く騒がしかった。
俄かに降り出した雨は愈強さを増してザアァという音が耳を突き、其れに混じるのは泥濘るんだ土を跳ね上げる音。暗い登り道を走るのは些か危なっかしいが、のんびりしていては凍えて動けなくなりそうだった。
森を抜ければ館が見え、深く吐いた息は安堵か嘆きか、兎も角白に染まる間も無く雨に流されていく。]
─音楽室─
あー……降って来たなあ。
[ふと見やった窓の向こうの様子に、ぽつりと独りごちる。
浴場で汗を流した後、また、音楽室でピアノを弾いていたのだが、さすがに空腹に我に返ったところだった]
……これじゃ、帰りたくても帰れない、かあ。
ま、父さんを黙らせる口実にはなるから、いいか。
[呟きと共に口の端に浮かぶ笑みは、苦笑と見えただろうか]
―自室―
[ここに来てからというもの来客への対応に追われ、荷の整理をまだ済ませていなかった。お勤めの合間に与えられた部屋に立ち寄ると、替えの服をクローゼットに仕舞い、一通り整理を終えると一息吐く。
ふと、開いたスーツケースの隅に視線が注がれる。
見つめるのは無機質な双眸]
…
[が、ふいと視線は逸らされ。
そしてそれに触れることなく、ケースの蓋は閉じられた]
それにしても……。
[小さく、呟いて。そっと、胸元に手を当てる。
昼間、浴場で自分の身体を見て、目を疑った]
これ……あれだよね。
ばーちゃんの言ってた……巫女の印とかって言うの……。
[左の胸。
さすがに、誤魔化すのが難しくなってきた膨らみの上に浮かんでいた形。
そこに浮かんでいた、祖母の一族に伝わるという力の、印]
……また……視えるように、なっちゃうのかな……。
トビーくん、笑えなくなるなあ……。
[左の胸──場所的には、心臓のある辺りか。
そこを、押さえるように手を触れつつ、雨の帳を見つめて]
しっかりしろ、メイ。
気にしすぎちゃダメ……気にしないの。
どうせ……どうせ、何も起こらない。
これだって……きっと、すぐに、消える。
……消えるはずなんだから。
[まるで言い聞かせるように、呟いて。
ゆっくりと窓辺を離れ、音楽室を出る]
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