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[閉じ掛けた黒曜石の眸は薄ら開かれた。
茶色くもっこりしたものが鼻面を突きつけている。]
『―――、ねえお爺ちゃん。
この人間、食べてもいい?』
[吼えるような息を強く吐き出すような獣の呼吸音が聞こえる。
それが、笑い声だと、何故だか分かった。]
『拾い喰いは駄目じゃよ。
今から帰る所なのじゃからのぉ。』
[まともに動かぬ体。眸だけが動く。
雪の中、少なくない数の狼が周囲を歩いていた。]
『くくっ、構わないだろう。
老は臆病すぎる。』
『お主のように、血気盛んで考えなしではないだけじゃわい。』
[賑やかな会話だった。]
『その子供は、我らの声が聞こえているぞ。』
[雑談に分け入ったのは、静かな声。]
『仲間?仲間なの?
人狼?ジャンプジャンプ!わおーん!がおー!』
[仔狼が、襟首を噛んでじゃれる。
世界が回り、体が仰向けになった。]
『声が聞こえるなら、おい、答えてみろ。』
『やはり、聞こえておらんのではないかのぅ。』
『いいや。聞こえている。』
[その狼は、凍えた身に寄り添ってきた。
とても巨きな、獣《狼》に見えた。]
―――聞こえない。
[獣の白い息が大きく吐き出された。
失笑でも嘲笑でもなく、高らかに笑う吼え声だ。]
『喰うか?』
『じゃから血気盛んじゃよ。』
『放っておけ。
何時か、我らの為になる時も来るだろう。
我らが血族と囁き交わせばな。』
『本当かのぅ。
それより、お腹が空いたのぅ。飯はまだかいのぅ。』
『お爺ちゃん!人間の前だからってボケないでよぅ。』
[最後にもう一度、その巨きな獣が笑った声を、聞いた。*]
はい。
ケネスおじさまに。
[こくと頷いたあと、受け取ってもらえるのだとわかると、ほっとしたように少しだけ笑みを浮かべた]
お守りなんです。
だから、お願いします。
内緒ですよ。
[しー。と、人差し指たてて、内緒の仕草]
─ アーヴァインの部屋 ─
[室内に入れば、色濃く残る鉄錆の臭いが鼻につく。
絨毯の上には、赤から黒へ変わった水溜まりの痕が残っていただろうか。
それらに眉をひそめて、手で口を押さえる。
死の恐怖と、生理的嫌悪で沸き上がる吐き気を堪えながら視線を動かして、寝台の上、シーツに包まれたそれに手を伸ばした。]
おじ、ちゃん。
[ぽつり、母が健在だった頃─ただの子供だった頃の呼び方で、その人を呼ぶ。
シーツの下、冷たくなったその人の肌は、あの日、同じように冷たくなっていた母と同じ感触を指先に伝えた。]
…どう、して。
[自分にとっては、まるで父のような、優しく温かな人だった。
母を亡くし、居場所を失った自分を変わらず此処に置いてくれた、恩人でもあった。
こんな形で、命を奪われる理由があるとは、思えなかった。]
…アタシも袋取ってきますか…
多分、護身用にはなるよね。アレ。
[小さな声での呟きは、果たして誰に聞こえただろう。
声をかけられれば荷物を取りに行くと言い、
静かに部屋の外へと出て行った。
おじ、ちゃん。
目、開けて。
わたし、まだ。
何も、返せて、ないのに。
[結局恩を受けたまま、世話になったままで逝かれてしまった。
そう、後悔を口にすると同時に涙も零れる。
一つ落ちると、堰を切ったようにぽろぽろと零れ落ちた。]
─ 自室 ─
[部屋に戻り、閉めた扉に寄りかかる。
何となく力が抜けるような心地がして、その場に座り込んだ]
……なん、で。
[ぽつり、零れるのは、呟き]
なんで、アーヴ小父が、殺された、の。
[身寄りを亡くした自分を引き取ってくれた養い親。
どうしてそんなに気を使ってくれるのか、と問うたら、母から多くのものを貰ったからだ、と笑っていた。
母と養い親がどんな付き合いをしていたのかは知らない。
けれど、それなりの信頼はあったのだろう、というのは予測できていて。
結局、それが何なのか、までは、問う事はできなかったのだけれど]
……しっかり、しないと。
[甘えて頼れる相手はもういない。
なら、自分で立って、歩かなくてはならない。
それは、母が口癖のように自分に言い聞かせてきた事]
泣き言、言ってる、場合じゃ、ない、ぞ。
[途切れ途切れに呟いた後、黒の染み付いた服を着替える。
その途中、幾度も視界が霞んで手が止まりはしたが。
それでも、できる限りの速度で着替えを済ませる]
……埋葬、終わったら。
曲、おくろう。
[それが、自分に出来る一番の弔いなのはわかっているから、小さく呟いて、部屋を出た]
[撫でられると、うれしそうな表情でケネスを見上げる。
持っていたらと言われても首を横に振って]
私のだから、私が持っていても、意味がないんです。
ケネスおじさまも、一人になったら、危険です。
[だってアーヴァインおじさまが食べられてしまったのだから。
言葉にはしなかったけれど、心配そうに彼を見た]
─ アーヴァインの部屋 ─
[子供のように泣きじゃくった時間は、それ程長いものではなかった。
それはヒューバートの言葉>>201があったからでもあるが。]
…いつまでも、泣いてたら。
心配、させちゃう。
[母が亡くなった時、アーヴァイン自身からそう言われたことを思い出したから。
ぐい、と流れた涙の痕を手でこすると、主に深く頭を下げてから部屋を出た。]
ぁ…、おにいちゃ…
ソフィー、様。
[廊下に出ると、着替え終えたソフィーと丁度鉢合わせる形になっただろうか。
その顔を見て、また泣きそうになりながら、名を呼んだ。]
―広間―
[意識は使用人たちの方へ向いていたから、その中で少女が動いた>>186のに気がつくことはない。
やがて話が一段落したのか、それぞれに移動を始める客人や使用人たちを横目で見やり]
……ああ、そう言えば。
[思い出したように辺りを見渡して、置き忘れていた本が部屋の隅の低い棚の上に置かれているのを見つける。使用人の誰かが片づけたのだろうか。
椅子から立ち、そちらに近寄った]
やっぱり此処にあったか。
[一番上の本の表紙を撫でる。
目印に挟めておいた四葉の栞が上から覗いていて、一瞬表情に笑みが走る。作られたものではなく、皮肉めいた笑みを]
─ 廊下 ─
ぁ…申し訳、ございません。
[主と同じく、つい昔の呼び方をしてしまった相手>>218に慌てて頭を下げる。
が、大丈夫かと問われると、顔を上げて。]
ソフィー…おにいちゃん、こそ。
大丈夫、ですか?
[自分が見たのは、既にシーツに包まれた後だったけれど。
床に残った水溜まりの跡から、ひどい傷だったと察することは出来た。
それを目の当たりにしたのだから、平気なはずはない。
そう思って、問いを返した。]
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