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―広場―
ビーチェが?
なんで?
[きょとんとして、
それから、ああと思い当たった。]
「お前もあれ怪しいと思ったのか?」
あれ?
違うよー。さっき泣いてる子がいたから
「なるほど。まあそんなとこだ」
サンキュ!
―エルザの家―
絵、もう描いててくれたんだね。
だいじょうぶ。
こわいのも、すぐ終わるって。
[渡された絵筆を受け取る。
そのとき、チリと頭の中で火花がはじけた。]
[騒動から一夜明け。
兄のいる筈のアトリエへ向かう。
それは貸したままのバスケットを思い出し、引き取りに行くためであり、或いは一連のことで心配していたからでもあり。
途中、ミリィの名が囁かれるのも耳にしたが、立ち止まって確認するだけの余裕は今はなかった]
[そうして着いた先で目にした、アトリエに慌ただしく出入りする数名の要人。
己が中に入れてもらえたのは、それが判明して間もなかったからだけでなく、弟という立場もあったかも知れない。
部屋の奥、壁際のベッドで兄が眠っていた。
それだけなら、何ということもない光景。
だが傍に寄ってみれば、呼吸も鼓動も微弱で。
頬を叩いて、声を掛けても反応は返らなかった]
やだ
なに、これ
[視界が黒くなるようで、
あ、と一瞬思った。
これに気付かれたら、いけないと。
エルザの様子も、居る場所のことも考えないで、黒を消すために心で叫ぶ。]
[その瞬間、黒は消える。
ほっとしてようやく気がついた。
てのひらに、びちゃりと、青い染料がついていた。]
あちゃあ。
これ、落ちるかなぁ。
[今のことが嘘のように、
少女は顔をしかめて青を見た。]
[声なく膝をつく、その耳に届くざわめき。
朝連絡に来たら既にこの状態であったと、第一発見者らしき男が語るのが聞こえる。
先日のギュンターや、昨日のベアトリーチェと同じ状態だ、という声が聞こえる。
『絵師』がいなくてこれからどうするのかと、囁き合う声が聞こえる。
そこに兄を――エーリッヒ=リヒトの身を案じる言葉は含まれていない。
ふつり、何かが切れる音がした]
…絵筆を。
[背を向けたまま、感情を抑えた声が響く]
『絵師』が必要なら、僕が。
兄さんが……いえ、当代が戻るまで。
僕がそれを継ぎますから。
[周囲は一度静まり返る。
その言葉のみでなく。
振り返ったその首筋に浮かぶ、蒼の月に]
[事態を把握した周囲から、またぽつりと声が洩れ出す。
やがては倒れた『絵師』のことと共に、己のことも伝わるのかも知れない。
何処かを睨むような緑は、今はただ、微かな震えが周囲に悟られないことを願った**]
[やがて、白い綿毛の雲と、
あおい空と、あおい海。
その中央に、ヒカリコケできらきらした金色の髪の、絵師の姿。
そんな絵が、できあがった。]
―海水通路―
あー、落ちないー。
[ごしごしと手を擦っても、少女の手から青は落ちない。
てのひら一面が青く染まって、視界が一瞬黒くなったことを思い出した。
黒は塗りつぶしてしまうから好きじゃない。
誰にも見つからずにここにきていた少女は、仕方ないとばかりに立ち上がった。]
ま、包帯でもまいとこっかな。
ミリィせんせーのとこにいって、もらってこよ。
……見せないとくれないってこともあるかな。
うーん。
[ぺたぺたと
ヒカリコケを粉にしたものを絵に一生懸命張っていたら、リディが心の中、叫ぶ。
驚いて、手を止めてぽかんと様子を見ていたけれど
どうやら無事なようなので、にこり、笑った。]
だいじょうぶ?
[そして完成した絵を見て
また、さらに嬉しそうに、わらう。]
うん。
綺麗にできてよかったよね。
インクはきっとすぐ落ちるよ
[その時は、なかなか落ちないなんて知らなかったから。]
インク?
うん、誰かに見られたら、うたがわれちゃうよね。
[母親が、染料のついた父親の服を洗う時に
何か言っていた気がするけれど
そんな遠い記憶が彼女の頭の中に
再生されることは、無かった。]
今日の絵は何処に隠そうか。
[ゆらゆら揺れる、無重力の夢。
毎日のそれから目を開いて、体を起す。
昨日と全く違うのは、ヒカリコケが地面に散乱してキラキラと
必要以上に部屋の中が明るいこと。]
ぅふぁぁ。
[大きな口を開けて緊張感の無い欠伸を零し、
何時ものように支度を整えると、
何時ものように家の扉を開いて外へ出た。
屋根の上からせり出した岩が薄い暗闇を作る家の周りが
零れたヒカリコケのせいで、ぼんやりと、明るい。]
濡れないように、してね?
折角の色が、伸びちゃうもの。
[聞こえた声に嬉しそうに答え
絵筆を握っていた手をきゅっと閉じる。]
絵筆は、今日はあなたが持ってて?
今日はお洗濯しないといけないから、落としちゃこまるの。
見つかりそうになったら、どこかに隠すといいと思うの。
声を出さずに話せるから、取りにいけるわ。
わかった、持ってるね。
ちゃんと隠して、みつからないようにしないとね。
絵筆も、絵も。
よし、いってくるよ。
[そう言って、少女は、彼女の家を出たのだった。]
ハンカチにしとこ。
でも一応、ミリィせんせーのとこにいってみようかなー。
[ぐるぐるとハンカチでてのひらの青を隠すと、
その場をあとにした。
かすかに光る、ヒカリコケ。
岩場の間に隠されたのは、綿毛の雲と、あわく光る金の髪、そして
海の底のあおと、
空の上のあおい色――]
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