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[音彩が目覚めるよりも前の事。
ゆる、と夢に囚われて]
……やぁ……だよ。
[小さな小さな声がもれ、鞠抱く手には力がこもる。
目覚めに至るは*まだ先のよう*]
[ゆるり、ゆるり―浮かび上がるは過去の事。
己が人であった頃の悲しき記憶―]
――――の事は誰にも言っちゃいけないよ―
約束だよ―れく―
[その名が誰を示すものかも、もはや忘れてしまったが―]
[身を清めて戻れば、縁側へと腰掛けて。
何をするでもなく、ぼおと流るる雲を眺めやる。
いつの間なにやらその傍に、童の運んだ冷茶と干菓子。]
…かたじけない。
[見守るように、隠れるように。
さざめく笑い声は聞こえずとも、ちらりちらりと垣間見えし衣に短く礼を告げ手を伸ばす。]
[朝顔・貝殻・せせらぎと並ぶ可愛らしき一粒を口に含む。
僅か顰められし眉は甘さゆえか、袖に染みし花の香りゆえか。]
〔部屋の一つを借り和紙を貰い受けて、
右には筆を持ち左では頬杖を突きて、
外の景色を覆う真白を眺めつつ物思う。
書きしものは多様なりか、否、唯一なりて、
あやめにアヤメに菖蒲に文目に綾目にと、
同じ言の葉を幾つもの文の字にて綴れり。
けれども何れが真実なるかはわからずに、
唯ただ茫と記憶の水底を漂うばかりなり。〕
〔筆を置きて立ち上がり襖を開きて廊下ゆく。
陽は昇りしか沈みしか移ろうか、
或いは変わらずそこにありしか、
時を知らせぬ空は何の色とも見ゆる。
咲笑ふ童子らが歩む女の傍を通り抜ける。〕
[喉を潤す冷たき緑茶に、撫子色が微かに綻ぶ。
誰もいないを良い事に、やや濡れた唇に親指を押し当てて、]
…甘露じゃな。
[行儀悪く舐め取れば、も一つと花の形に手を伸ばし。]
[閉ざされていた目が開き、小柄な身体が跳ねるように起き上がる。
抱えていた鞠が手から離れ、ころり、転がるのにも気づかぬまま。
瞳はしばし、芒と周囲を見つめ]
……ぁ……れぇ?
[零れたのは、小さき声]
[妖女さま、妖女さま。
此度は誰そお呼びになる。此度は誰そ招かるる。
笑ひ声に混ざる言の葉は天狗にしか聞こゆまじ。]
その名で呼ぶのはおよしな、
好かぬと幾度も云うている。
己等の一存にては決められぬ、
月白の神巫の云いつけだ。
まだ時は移ろうわぬ、
そう焦る事もあるまいて。
[紫黒の御方がお怒りになった、お怒りになった。
童子らきゃらきゃら笑ひつつ廊下を抜けてゆく。]
[ゆる、と瞬いて。
ここはどこだったかと、しばし、悩み]
……じゃ、ない……。
[ぽつり、零れた呟きには、微かに安堵の響きもあろうか。
それから、抱えていた物の喪失に気づき、ひとつ、まばたく]
……鞠……。
[どこへ行ったかと見回せば、そこでようやく、縁側で寛ぐ姿に目に留めて]
[手を伸ばすや否や、迷う内に視界に入る藍墨茶。
琥珀の眼差しを上げれば、笑み湛えるよに細めし紫黒。]
さて、そなたもかなたのもお目覚めか。
[ぼうとした童に視線を投げて、そう呟く。]
[ゆるり、夢から目覚めればとうに見慣れた天井が視界に入る。
思わずはあと溜息を吐き]
―夢にしちゃあ流石にちと長過ぎやしないかね?
[そのままゆるりと身を起こし、遅い朝餉の席につく]
ええと……おはよう? ねえさま方。
[起き出して、礼を一つ。
音彩はまだ寝ているのかどうか、それを確かめる猶予も今はなきようで。
掛けられていた薄布を丁寧に掛けなおし、自身は転がる朱と金の華の紋を追う]
朝なのか昼なのか夜なのか、
さても目覚めの時はお早うと言えるかな。
[組んだ腕は藍墨茶の袖の内に隠される]
夢なのか現なのか幻なのか、
さても今ここにあれば何れも同じたるかな。
[庭へと落ちて汚れる前に、朱と金の華をすくいて差し出さん。]
ほれ、そなた。
迷わぬようしかと抱いておれ。
[舞扇を失くした自身を思うたか、やや眉は顰められたままに。]
[転がる華の紋は、差し伸べられし白き手に止められ。
言葉と共に差し出されたそれを、そう、と両手で受け取る]
あ、ありがとう……ええと?
[安堵の声を漏らしつ、名を呼ぼうとして。
未だ、それを聞かぬままと気づき、首を傾げる]
目覚めたであれば、お早うでよかろ。
我は先に朝餉をいただいたがの。
[誰とはなしに告げて、摘んだままの干菓子を口へと放り込む。
指を舐めるは我慢した。]
[朝餉を終えてなんともなしに縁側へと出てみればまたも見知らぬ顔が一つと知った顔が二つ]
お早う、あやめの姐さんは早起きなこって―
迷い子の多いことだね。
見つかれば好いのだけれど。
さてな、こちらは疾うに頂いた。
濃色の童、風の坊はいかがかな。
[朝餉は、と問うて、こてり、首傾げ]
お早う、象牙の旦那。
はてなさてな、
然様なつもりはなかったけれど、
其方が遅起きなのではないかな。
[返す声には悪戯な響きを帯びさせる]
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